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中山古城(群馬県高山村) [古城めぐり(群馬)]

IMG_0457.JPG←主郭背後の堀切
 中山古城は、昭和40年代に発見された城で、元々この地域の中核的な城であった。戦国末期に小田原北条氏がこの地を制圧するまで、中山衆と呼ばれる地侍達が活躍した城である。築城は大永年間(1521~28年)か永禄年間(1558~70年)であろうと考えられている。城主は中山氏であったとされている。中山氏の出自には諸説あり、武蔵七党児玉党の一流、阿佐見弘方の子実高が中山氏の祖となったとも、或いは岩櫃城を築いた斎藤憲行がその次男幸憲を中山に分封したのが中山氏の始まりとも言われる。但し、斎藤氏が児玉党阿佐見氏の出自と言われることから、いずれにしても阿佐見氏の後裔であった様である。中山安芸守は上杉謙信に属していたが、謙信急死の後の後継争い「御館の乱」が起きて1579年にこの地に武田勝頼の勢力が及ぶと、武田氏に従った。1582年6月、本能寺の変後の混乱の中で、安芸守の子右衛門尉は津久田城を攻撃して討死にし、弟九兵衛は名胡桃城に落ちて、中山古城は北条氏に服属した白井勢に占領された。その後間もなく北条氏が新城(中山城)を築くと廃城となった。

 中山古城は、標高680m、比高100m程の山上に築かれている。南西麓の民家脇から登道が付いており、ほとんど迷うこと無く簡単に登ることができる。馬蹄形の尾根を利用して築かれており、北の尾根が主郭を中心とした主城部で、南の尾根が外郭若しくは出曲輪に相当する。北尾根には北東から順にニノ郭・主郭・三ノ郭が並び、三ノ郭の先にも更に数段の段曲輪が築かれている。主郭と二ノ郭の背後には堀切が穿たれているが、いずれも規模は小さい。二ノ郭の北には外郭があり、南の尾根に曲輪が続いているが、外郭の背後にも堀切が穿たれ、堀切はそのまま南に伸びる外郭東側の腰曲輪(部分的に横堀となる)に続いている。主城部の北西斜面にも腰曲輪が続き、堀切から落ちる竪堀が貫通している。この他、馬蹄形の尾根の間には小屋掛けの平場があり、大手虎口を築いていたと思われる。中山古城は、普請はしっかりしているが、全体に普請の規模が小さい。地衆の城であれば、この程度のものだろうか。
外郭の横堀(腰曲輪)→IMG_0431.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.634505/138.962932/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/05/31
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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