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津久田城(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_6946.JPG←城址中心部の現況
 津久田城は、白井長尾氏の支城である。築城時期は不明であるが、永禄年間(1558~70年)に津久田地衆によって築かれたと推測されている。1580年8月、沼田城の真田昌幸は、海野輝幸らに命じて、3千余騎でこの城に迫り、城将牧弥六郎、須田加賀守らを白井城に逐って、津久田城を占領した。1582年に武田氏が滅び、織田信長の重臣滝川一益が上野を与えられると、その甥滝川義太夫が沼田城に入城し、津久田城は白井長尾氏の支配に戻って、牧和泉守が守った。本能寺の変後、一益は神流川合戦で北条氏直に大敗して本領の伊勢に逃れ、その際に沼田城は真田氏に返還された。この時、白井長尾氏は北条氏に帰属し、津久井城も北条氏の支配下に入った。沼田城代となった真田氏の重臣矢沢頼綱は、中山右衛門尉らに津久田城を攻撃させたが、返って敗れ討死したと言う(牧和泉守の奮戦は、猫山城にも伝わっている)。その後の歴史は不明であるが、北条氏の属城として続き、小田原の役で廃城になったのだろう。

 津久田城は、利根川と沼尾川の合流点南東の比高50m程の段丘上に築かれている。広大な平地の北西端部に築かれ、主郭の周囲に空堀で囲まれた曲輪群を東西と南に連ねた、群郭的な縄張りとなっていた。しかし城内は、昭和42年の土地改良事業で破壊され、現在は宅地と農地に変貌し、遺構はほぼ完全に湮滅している。わずかに住宅裏の西斜面と北斜面に腰曲輪が残っているようだが、西の腰曲輪も杉の倒木で進入不能となっており、北の腰曲輪には到達できなかった。また住宅の裏に城址解説板があるのが辛うじて見えたが、民家の方にお断りをしないと、そこまで到達することもできない。昭和20年代の航空写真でははっきりと堀跡と曲輪の形状が確認でき、昭和42年に破壊されるまでは遺構が完存していたことがわかる。惜しいことである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.553344/139.043527/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


「城取り」の軍事学―築城者の視点から考える戦国の城

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