So-net無料ブログ作成

慈恩寺城館群(山形県寒河江市) [古城めぐり(山形)]

IMG_3831.JPG←慈恩寺城館群の遠望
 慈恩寺城館群は、名刹慈恩寺の背後の山塊に築かれた城砦群である。永正年間(1504~21年)に、寒河江大江氏14代宗広の死後の後継者争いに山形城主最上義定が軍事介入すると言う紛争があり、その兵火を受けて慈恩寺が焼失してしまっている。慈恩寺城館群は、この焼失を機に自力救済の措置として一山全体を囲む城郭群が築造されて防備を固めたものと推測されている(伊藤清郎著『最上義光』)。慈恩寺の背後を取り巻く様に、西から田沢要害・肥前楯・尾山楯・ゴロビツ楯が築かれ、更に東側にも日和田楯・松蔵楯が形成された。中世の慈恩寺は出羽国の宗教拠点であると共に、一大要塞でもあった。以下、訪城した順に記載する。

【ゴロビツ楯(五郎櫃楯)】
3段の曲輪群→IMG_3705.JPG
 ゴロビツ楯は、主峰である尾山楯の東尾根上の台地に築かれている。現在八千代公園となって公園化されている。案内板の表記で、ゴロビツとは五郎櫃のことだとわかった。城内は3段の平場に分かれ、最上段の後部には土塁が築かれている。また曲輪群の南外周に横堀と腰曲輪が築かれている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.411668/140.254319/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

【尾山楯】
IMG_3761.JPG←西尾根の段曲輪群
 尾山楯は、慈恩寺背後の山塊の標高271.8mの主峰に築かれている。ここも山王台公園となって整備されているが、道の造作でやや破壊を受けている。山頂に主郭を置き、周囲に腰郭を廻らしている。また西尾根に段曲輪群を築き、その側方に土塁・横堀・腰曲輪を配している。この西尾根の段曲輪群と主郭の間は、堀切状の平場で接続している。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.412492/140.250735/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

【肥前楯】
主郭→IMG_3776.JPG
 肥前楯は、主峰である尾山楯の西尾根上の峰に築かれている。現在肥前楯公園となっている。尾山楯から山道が付いているが、徒歩でしかアクセスできない。ただの半円形の主郭があるだけで、腰曲輪などは確認できないが、主郭の南側には低土塁が見られる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.410844/140.247066/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

【松蔵楯】
IMG_3829.JPG←腰曲輪
 松倉楯は、ゴロビツ楯から南に伸びる尾根上に築かれている。数段の曲輪群で構成されているようだが、民家の敷地を通らないと遺構に辿り着けないので進入は諦め、周りの車道から遠望するだけとした。北側の車道は堀切の名残であろう。また腰曲輪跡が農地となって残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.408978/140.253460/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


 この他の城館については以下の通り。田沢要害は肥前楯の尾根続きにあるが、草枯れしていない初秋では薮が深くアクセス不能。前山楯は、ゴロビツ楯の尾根から谷戸を挟んで北の尾根筋に築かれているが、全体が果樹園となっていて、秋という収穫の季節柄、進入不能。日和田楯は、東に突き出た尾根先端に築かれているが、草枯れしていない初秋では薮で踏査不能。「スーパー地形」で見る限り、堀切で丘陵基部を分断した単郭の城砦の様である。
 慈恩寺城館群は、いずれも簡素な構造の城砦で見るべきものは少ないが、寺社勢力が自力救済のために築いた城砦がどの様な性格のものだったのかがよく分かる。

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


最上義光 (人物叢書)

最上義光 (人物叢書)

  • 作者: 伊藤 清郎
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2016/03/11
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
nice!(6)  コメント(0)