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天神城(群馬県川場村) [古城めぐり(群馬)]

IMG_3255.JPG←城址の遠望
 天神城は、1557年に沼田万鬼斎顕泰が築いた隠居城である。しかしただの隠居城ではなく、血生臭い沼田氏の抗争の場となり、結局それが沼田氏滅亡の原因となった。万鬼斎は嫡男朝憲に家督と沼田城を譲り、朝憲は上杉方の部将として活躍していた。隠居した万鬼斎であったが、共に天神城に移っていた末子平八郎景義を溺愛し、その母親である側妾(重臣金子美濃守の妹。伝承では「ゆのみ」と言う名であったらしい)の願いを容れて景義を沼田家の当主にする為、1569年正月に朝憲を天神城で誘殺した。朝憲が殺されたことを知った朝憲の一族・家臣達は、万鬼斎父子を討とうと川場に押し寄せ、川場合戦となった。大雪の中で生品を中心に合戦が行われ、小勢の万鬼斎は敗れて、景義と共に会津蘆名氏を頼って落ち延びた。その後、万鬼斎は会津で客死し、景義は葦名氏の庇護を受けて沼田への復帰の機会を窺った。一方、城主を失った沼田城は、上杉謙信の関東経略の際の重要拠点であった為、上杉氏の支配下に置かれた。1578年に謙信が急死すると後継を巡って御館の乱が起こり、沼田城は北条氏の管轄下に入った。しかし1580年、沼田城将の藤田信吉は真田昌幸に通じて武田方に寝返り、沼田城は真田氏の管轄下に置かれた。1581年3月、由良氏の支援で女渕城主となっていた景義は、金山城主由良国繁の後援を受けて沼田城奪還を目指して攻め寄せ、高王山城に本陣を置いて沼田城を窺った。景義の伯父金子美濃守は藤田氏と共に沼田城にあって昌幸の麾下にあり、昌幸から恩賞を約束されて、景義を沼田城へ誘い出し謀殺した。この結果、13代に渡って利根沼田の盟主であった沼田氏は滅亡した。

 天神城は、薄根川と溝又川の合流点に突き出た段丘先端部に築かれている。城址は公園として整備されている。台地基部から城に向かって遊歩道が伸びているが、途中で大きく降った鞍部となっており、堀切の名残と思われる。城自体は狭い主郭だけの単郭の城の様であるが、城址石碑裏の碑文によると、明治の頃までは数倍の広さがあったが、その後の水害による崩落で現在の状況になったらしい。平場しか残っていないが、沼田氏滅亡の原因となった城として、歴史的に重要である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.682841/139.085219/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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