So-net無料ブログ作成

小城(群馬県中之条町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_2428.JPG←笹曲輪らしい平場
 小城は、北条氏と武田氏による争奪の場となった境目の城である。天正年間(1573~92年)初頭に白井城の出城として築かれたと伝えられる。武田方の部将真田昌幸が支配する岩櫃城と、北条方が支配する白井城との間にあって、激しい攻防が繰り広げられた。『吾妻記』によれば、1580年12月、北条方の尻高摂津守・同庄次郎ら140~50人が立て籠る小城を、真田昌幸の家臣池田佐渡守・海野郷左衛門ら200余騎が夜襲を掛け、摂津守は深手を負って自刃し、庄次郎は白井城に逃れて、城を奪われた。1589年12月、岩井堂の砦を抜いて進撃してきた北条方の白井勢に対し、この城を守っていた武田方の蟻川入道・桑原大蔵らが迎え撃ち、飯塚小六郎を撃ち取って撃退した。翌1590年2月、白井方の神庭三河・飯塚大学が蟻川入道を追い出して城を占領したが、同2月20日頃、岩櫃方の小渕次郎右衛門・一場茂右衛門は10人計で夜討ちを掛け、城を奪還したと言われる。
 但し、1589年12月以降の時期は既に豊臣秀吉から北条討伐の宣戦布告がされ、北条領国全体が秀吉の大軍の来襲に備えて軍備を固めていた時期であり、この様な小競り合いをしている余裕はなかったはずで、これらの伝承には疑問がある。

 小城は、吾妻川北岸の段丘東端に築かれている。往時は空堀で囲まれた方形の主郭とその北側に広がる二の郭が築かれていたが、現在は城の主要部は宅地化されて遺構はほぼ完全に隠滅している。東側先端には古城公園があり、先端が一段低い平場となっていて、往時の笹曲輪であった名残りと思われる。公園の西の道路は空堀跡の様にも見えるが、果たしてどうであろうか?公園の名前に城の名が付いているものの解説板もなく、かなり残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.584123/138.860192/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


図説 戦国北条氏と合戦

図説 戦国北条氏と合戦

  • 作者: 黒田基樹
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2018/07/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


nice!(7)  コメント(0)