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並木城(群馬県高山村) [古城めぐり(群馬)]

IMG_2389.JPG←主郭周囲の切岸・腰曲輪
 並木城は、長尾尻高氏の居城尻高城の内、平時の居館として築いた里城に当たる。1401年に白井城主長尾重国(景春)の家臣が築城し、2年後に完成すると、重国の3男重儀が城主となり尻高左馬頭を称した。以後、尻高・大塚・平・赤坂・市城までの2024石を領して勢威を誇ったが、戦国後期になると上杉・北条・武田3大名の三つ巴の抗争の狭間にあって苦難を続けた。この頃、吾妻郡では岩櫃城主斎藤氏が最大の勢力を持ち、長尾尻高氏も斎藤氏に属していたが、1563年に武田信玄の命で真田幸隆が上州に侵攻し、岩櫃城・嵩山城を攻め落として斎藤氏を滅ぼした。尻高氏は一時的に武田氏に降ったが、間もなく上杉方に転じて反抗し、1574年に幸隆の攻撃によって尻高城は落城した。この時、城主尻高左馬介景家は討死したとされる。1578年に謙信の急死でその後継を争う「御館の乱」が越後で勃発すると、上杉景虎(北条氏康の7男)支援のため北条勢は越後へ進軍し、尻高左馬介義隆は北条方に付いて猿ヶ京城を守った。しかし1580年に武田勝頼の部将真田昌幸配下の海野輝幸に攻略され、尻高氏は滅亡した。

 並木城は、本宿地区にある比高10m程の段丘上に築かれている。現在郭内は畑に変貌しており、平場以外に明確な遺構を見出すことはできない。段丘辺縁部の南辺と東辺には一段低く腰曲輪・武者走りがあり、主郭の周囲は切岸となっている。民家脇の畑には堀切跡の様なわずかに低い畑があるが、はっきりしない。いずれにしても、古い形態の段丘上の居館であった様だ。南西の登り口に解説板・標柱が立っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.619592/138.898773/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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