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若宮城(長野県飯綱町) [古城めぐり(長野)]

IMG_6030.JPG←三重堀切の一部
 若宮城は、奥信濃に大きな勢力を持っていた土豪芋川氏の居城と言われている。芋川氏の事績については芋川氏館の項に記載する。当初は鼻見城を詰城としていたが、後に若宮城を築いて居城を移したと考えられている。甲越合戦の頃、1561年に割が嶽城、1564年に野尻湖城が武田氏によって攻略されているので、その前方に当たる若宮城もそれ以前に武田方の手に落ちていたと推測されている。一方、別説もあり、芋川氏の要害城は鼻見城のままで、若宮城は1582年に上杉景勝が北信濃4郡を押さえた後に、上杉氏によって築かれたのではないかとの説もある。しかし鼻見城の遺構を見る限り、戦国後期の甲越両軍の厳しい対峙の時期に拠るにはいかにも城が小さ過ぎ、やはり若宮城を本城としていたものと個人的には考えている。

 若宮城は、標高680m、比高80m程の山上に築かれている。町史跡に指定されており、南東麓から主郭まで登山道が伸びている。これがかつての大手道であったらしい。大手道を登り始めるとすぐに右手に横堀があり、西園寺堀と呼ばれている。大きな堀ではないが、山腹の長い塹壕線でまっすぐ北側に伸び、北端は直角に曲がって竪堀に変化して落ちている。またその西側には帯曲輪があり、竪堀が穿たれている。西園寺堀を越えて尾根を登っていくと、数個の腰曲輪を経由して西園寺屋敷と呼ばれる四ノ郭に至る。四ノ郭は段差で区画された上下2段で構成され、背後の尾根に小郭と堀切が築かれている。更に登ると三ノ郭に至る。三ノ郭は全体が傾斜したやや削平の甘い曲輪で、後部に櫓台を築いている。櫓台の前面側方に竪堀が落ち、背後に堀切が穿たれている。その上がニノ郭で、その背後にも堀切が穿たれている。その上に主郭がそびえているが、主郭は内部が2段に分かれた方形の小さな曲輪である。主郭から四方に伸びる尾根は急峻で、これらの尾根上には曲輪群が築かれているが、主郭とは距離があり連絡できなくなっており、主郭は周囲からそびえ立った独立郭となっている。主郭の背後の尾根には三重堀切が穿たれているが、深さは3m程でそれほど大きなものではない。この他、二ノ郭の南南西の尾根や主郭の南西の尾根に段曲輪群が築かれ、小堀切も穿たれている。また主郭の東尾根には堀切のほかに、尾根筋に平行に降る長い横堀が穿たれている。途中で竪堀の様に降りながら続いており、東端は折れ曲がって竪堀となって落ちている。以上の様に若宮城は、山全体に多数の曲輪を配置し、長い横堀線で防御した山城である。ただ曲輪はそれほど大きくないので、あくまで詰城として機能していたと考えられる。
主郭→IMG_5994.JPG
IMG_6075.JPG←東尾根の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.792842/138.259120/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/01/10
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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