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神成城(群馬県富岡市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_3946.JPG←主郭の大土塁
 神成城は、小幡氏が宮崎城の要害城(詰城)として築いたと推測されている。歴史不明であるが、宮崎城と一体として機能していたとすれば、宮崎城の歴史がそのまま神成城の歴史ということになるだろう。徳川家康が関東に入部した際に、奥平昌信が宮崎城に入城したが、その時神成城も改修を受けた可能性を『境目の山城と館 上野編』で指摘している。

 神成城は、神農原の北に東西に連なる山地の一角の、270mの山上に築かれている。宮崎城の尾根続きにあり、西中学校の裏から神成山ハイキングコースが整備されており、迷わず城まで行くことができる。かなり広い大型の山城で、どの曲輪も広大である。宮崎城の裏から山道を進むと、見晴台を経由して城域最東端の出曲輪に至る。この出曲輪は、前面に峠道が通っており、堀切状になっている。また曲輪の南東角に土壇が築かれており、櫓台があったと考えられる。その先は自然地形の尾根が続いた後、東郭に至る。比較的小さな高台で、背後に小堀切が穿たれている。その西側には広大な三ノ郭が広がっている。三ノ郭は、南端に一段高い土壇があり、大型の櫓台か建物があったのだろう。そこから北に向かって段が付いて低くなるが、中段の平場が最も広い。その西側には帯曲輪が築かれ、一部は横堀となっている。三ノ郭の北東尾根には北東曲輪群が続いている。横矢クランクを持った堀切の先に、堀切沿いに土塁を築いた4郭(以下、曲輪の表記は『境目の山城と館 上野編』の記載に従う)があり、更にその先に長い堀切で分断されて5郭が置かれている。しかしこの辺は竹薮がひどくて踏査が困難である。5郭の先にも6郭があるらしいが、進入困難で未確認である。戻って三ノ郭の背後には小堀切を介して二ノ郭が広がっている。二ノ郭の北尾根にも北曲輪群が築かれている。この北曲輪群もやはり堀切で曲輪間を分断しており、2つの曲輪が置かれ、その先は幅広の自然地形の尾根になっているが、堀切らしい溝も見られる。二ノ郭は、内部が南北2段に分かれ、東辺に幅広の大きな土壇、西辺にも土塁が築かれている。西辺の土塁は起伏があり、中央が盛り上がって物見台状になり、そのまま主郭まで繋がっている。主郭も広く、二ノ郭とは切岸だけで区画されている。後部に大型の土塁を築いており、特に東辺の土塁は高くなっていて、櫓台があったのだろう。この大土塁の南東に尾根が続いており、堀切の先に2つの物見台が置かれ、特に南端のものは眺望に優れている。一方、主郭の南西に搦手虎口と小郭があり、その先は御岳山に通じている。御岳山も城域で、尾根道には2本の堀切と数段の腰曲輪、頂部には物見の平場があり、北側に腰曲輪が見られる。
 神成城は、横矢クランクの堀切も含めて全ての堀切はいずれも小さく、縄張りの技巧面でもそれほど目立った所はないが、何より曲輪が広く、かなりの城兵を籠めることができる城である。殊に大型の櫓台・土塁が出色で、見応えがある。城の主要部もきれいに整備されており、遺構が見やすいのも好ましい。
二ノ郭下段と東の大土壇→IMG_3900.JPG
IMG_3913.JPG←北曲輪群の堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.247933/138.834786/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2015/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世山城
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