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多胡館(群馬県高崎市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_3632.JPG←北辺の土塁跡
 多胡館は、木曽義仲の父、源義賢が一時居館としていたとされている。義賢は、平安末期の源氏の棟梁、六条判官源為義の次男で、近衛天皇が皇太子だった頃(1139~41年)、警護役であった帯刀の長官であったとされる。その後、多胡館に住んだらしい。後に武蔵国大蔵館に居館を移したが、1155年に甥の悪源太義平(源義朝の長子)に大蔵館を急襲されて討たれた(大蔵合戦)。これらの伝承からすると、義賢が多胡館に住んだのは1140年代から50年代にかけてと考えられる。しかし近年の発掘調査の結果では、堀から1108年の浅間山噴火のものと見られる軽石層が見つかっているので、噴火以前から館が存在していたことが確認されている。以前からあった土豪の館に義賢が入ったものだろうか?その辺りの詳細は不明である。

 多胡館は、大沢川と小河川で挟まれた多胡丘陵の平坦地に築かれている。一辺約110mの正方形に近い形であるが、北西部が斜めにカットされた様な形状をしている。宅地化が進んでいるが、北辺から北西辺にかけての土塁と堀だけが残っていて、その他は湮滅している。市の指定史跡となっており、解説板も建てられているが、北側虎口(搦手とされる)付近の北辺の土塁の一部がよく分かるだけで、そこより西側の遺構は、雑草が少ない4月でも薮に埋もれて確認が困難である。堀も辛うじて分かる程度で、かなり埋まってしまっている様だ。指定史跡にしては残存状況が悪く、しかも民家の真裏なので(郭内は民家)不審者と間違われないよう気を遣うし、少々残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.245900/138.986599/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


源頼政と木曽義仲 - 勝者になれなかった源氏 (中公新書)

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  • 作者: 永井 晋
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/08/24
  • メディア: 新書


タグ:居館
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