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諸松城(群馬県藤岡市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_3541.JPG←主郭の土塁
 諸松城は、関東管領山内上杉氏の家臣、本間佐渡守の居城と伝えられている。古くは平安時代の947年に栗本土佐守義秀が築城したと言われるが、あまりに古すぎてにわかには信じがたい(大体、この時代に土佐守という官途名が地方武士に名乗れたのかも甚だ疑問である)。本間氏についても、『日本城郭大系』によれば、天正年間(1573~92年)に本間佐渡守が改修したとされ、既に山内上杉氏が没落した後なので、事実とすれば本間氏は武田氏か北条氏に服属していたのだろう。なお『大系』では、諸松城は真下城等と合わせて「三波川地域城」と言う城砦群の一としている。

 諸松城は、三波川の南にそびえる山上に築かれている。位置的には南北に延びた尾根の南端に当たる。南中腹には険しい山中の諸松集落があり、車道が通っているが、往時から古道が通っていたのだろう。城は比較的単純な縄張りで、山頂に主郭を置き、南の尾根に2段の腰曲輪、主郭の北には堀切を挟んで二ノ郭があり、その北に城域の北端を区切る堀切が穿たれている。主郭にはL字状に土塁が築かれ、祠や石碑等が建ち、信仰の山だったことがわかる。主郭の裏の堀切は深さ5m程もある。この堀切から主郭の東斜面を通って東の腰曲輪に通じる武者走りが延びている。この武者走り付近の主郭切岸には石積みが残っている。また主郭前面には虎口の小郭が置かれている。前述の南の腰曲輪は、上段のものは土塁で囲まれ、東端に虎口を築いている。下段のものは背後に土塁と堀切を築いている。その南には鞍部の小堀切がある。この他、東斜面に廃屋があるが、ここも腰曲輪だったのだろう。以上の様に諸松城は、山頂中央ではなく南の鞍部に向かって偏しており、峠の古道を押さえる関所的な要害だったと思われる。しかも普請がしっかりしており、間道を押さえる要衝として重視された城砦であったことがうかがわれる。
主郭裏の堀切→IMG_3553.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.151252/139.016833/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:中世山城
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