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内匠城(群馬県富岡市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1441.JPG←横矢掛かりの大空堀
 内匠城は、国峰城主小幡氏の家臣倉股大炊助の居城である。倉股氏は小幡氏家中の旗頭と伝えられるが、詳細は不明。1590年の小田原の役の際、上杉景勝軍の別働隊が国峰城を攻略した時、別働隊を率いた藤田能登守信吉がしばらく在城したのが内匠城であったと推測されている。

 内匠城は、鏑川の南に横たわる離山(はなれやま)丘陵の南東端、標高221.6m、比高50mの段丘上に築かれている。城のすぐ北側を上信越道が貫通しており、最北の空堀だけ損壊を受けているが、大部分は幸いにも無傷で残っている。内匠城は、南東端に主郭を置き、その北から西にかけてニノ郭を廻らし、更にその北と西に北三ノ郭と西三ノ郭を配置した梯郭式の縄張りとなっている。主郭も二ノ郭も大手は北側に付いており、それぞれの曲輪は大きな空堀で分断されている。主郭は南西角部が高台となり、その上に更に土壇が築かれており、さながら天守台の様である(現在は神社が建っている)。しかも空堀に対して西側に張り出しており、堀底へ横矢を掛けている。主郭北西部も塁線が内側に折れて横矢掛かりが見られる。主郭の南と東の斜面には帯曲輪が築かれ、更に南東下方には堀切と土壇・段曲輪が築かれて、下方への防備を固めている。二ノ郭は西側に土塁が築かれ、外周には幅広の大空堀が穿たれている。この空堀は、二ノ郭の北西部で、北三ノ郭の櫓台が西に張り出し、横矢を掛けている。この北三ノ郭櫓台の北側でも空堀が屈曲している。西三ノ郭は畑になっており、立入禁止になっていたので未踏査であるが、その外周も空堀が穿たれている様だ。
 内匠城の作りは、西上州の他の城とは大きく趣を異にしており、台地辺縁部を利用した中規模の城であること、ダイナミックな横矢の大空堀があるなど、小田原北条氏の城に多い特徴を色濃く持っている。織田信長横死後の天正壬午の乱の後、北条氏がこの地を支配した時に改修を受けた可能性が大きいと思う。
主郭の天守台らしき土壇→IMG_1375.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.239159/138.903108/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:中世崖端城
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