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吉崎城(群馬県下仁田町) [古城めぐり(群馬)]

IMG_1117.JPG←北東尾根の堀切の一つ
 吉崎城は、桜井丹後守の出城で、その家老桜井右近将監が居城していたと伝えられている。桜井丹後守は、鷹ノ巣城の城代であったらしい。鷹ノ巣城主小幡三河守貞政は、関東管領兼上野守護の山内上杉氏に仕えてほとんど鷹ノ巣城を留守にしており、城代桜井丹後守が鷹ノ巣城を守り、吉崎城には家老の桜井右近将監が置かれたと推測されている。吉崎城は、鷹ノ巣城築城後にその防衛力強化のために築かれた様である。桜井丹後守は、山内上杉氏没落後、武田氏・滝川氏・北条氏とこの地域の支配者の変遷に伴ってこれに従い存続を図っていたが、1590年の小田原の役では、上杉景勝軍の別働隊、藤田能登守信吉の軍勢によって西牧城根小屋城と共に攻略され、同年徳川領になると廃城となったと考えられている。

 吉崎城は、標高453m、比高213m程の富士山に築かれている。この富士山は、遠目に見ても峻険な山で、最初に山容が見えてきた時、まさかあの山に登るんじゃないだろうなと思ったほど厳しい山容である。一応、富士山への登山道が南西麓の民家の奥から付いているのだが、登山道は消えかかっている上、砂礫と枯れ葉で滑るし木が少なく捕まるところがない、なかなか大変な登城となった。登山道は最初は東方向に斜面を登っていくが、途中から北方向に折れ、尾根と平行に西斜面をトラバースするルートとなる。この西斜面に、西に突き出した物見台らしい平場が3ヶ所確認できる。綺麗に削平されているので、間違いなく遺構であろう。この物見台遺構は『境目の山城と館 上野編』の縄張図には記載がない。これらを通過して進むと、城の北西中腹の腰曲輪に至り、ここには赤い鳥居が建っている。ここから途中腰曲輪を1段経由して登りきった山頂部が主郭で、小祠が鎮座している。主郭は土塁もない狭小な曲輪で居住性はなく、詰城という以上のものではない。主郭の北東の尾根には合計5本の急峻な堀切が執拗に穿たれている。しかしこの尾根は斜度が急な上、砂礫で滑りやすく、捕まることのできる木も少なく、登り降りできる尾根ではない。何でここまで執拗に堀切を作る必要があるのかと思ってしまう。また主郭背後に当たる南尾根は峻険な岩の細尾根で、2本堀切を穿って防御しているが、ほとんど人が通れる場所のない滑落必至の岩塊の堀切で、ここも堀切を穿つ必要があるのか、よく理解できない。『境目の山城と館 上野編』の著者の宮坂先生はこの危険な尾根の堀切まで測量しているが、何歳でここを踏査したのか、驚くばかりである。この他、北西の遥か下方に中段曲輪群があるらしいが、体力を予想外に消耗したため未踏査である。
 吉崎城は、遺構はよく残っているが、峻険で危険なちょーヤバい山城である。下仁田・南牧地域の城にはこうした例が多いが、その中でもかなり危険な部類に入る。従って、普通の人でも滑落しかねない城なので、特に高齢者には訪城はお勧めできない。
南尾根のちょー危険な堀切→IMG_1099.JPG
この堀切は極めて危険なので、行かない方が良いです。自己責任で判断して下さい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆(但し、非常に危険!)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.207066/138.801677/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

信濃をめぐる境目の山城と館 上野編

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2015/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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