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山田城(茨城県行方市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_5941.JPG←主郭の土橋
 山田城は、この地の土豪山田氏の居城である。山田氏の出自は不明であるが、14~ 15世紀頃に山田郷に土着した武士と推定されている。城主としては、山田太郎左衛門の名が伝わっている。山田氏の事績は不明であるが、1591年に、佐竹義宣による「南方三十三館の仕置」によって鹿行諸将が謀殺され城が悉く制圧されると、山田城も開城して山田氏は滅亡したと推定されている。

 山田城は、北浦西岸の比高35m程の丘陵上に築かれている。南麓から登り道が付いており、主郭付近にある神社まで通じているので、苦労せずに登城できる。登り道は切り通し状となっていて、側方上部には腰曲輪の塁線に見下されており、往時の大手道であったと考えられる。登り切ると、主郭東側の二ノ郭に至る。二ノ郭は主郭の南面から東面にかけて広がるL字状の曲輪である。その上に主郭が数mの切岸でそびえている。主郭の南東隅には大型の櫓台があり、御嶽神社が祀られている。主郭は櫓台の北から西にかけて大きく広がっており、かなりの面積がある。櫓台周りを中心に、主郭全面積の半分ほどは藪が伐採されて開けているが、それ以外は大藪に埋もれている。主郭の西側から北側には1本目の横堀(横堀1)が延々と穿たれている。横堀の外周には土塁が延々と続き、北側まで来た所で、幅のある帯曲輪に変化している。この帯曲輪外周に2本目の横堀(横堀2)が穿たれている。この横堀2は、途中に土橋が架かり、外周土塁に竪堀状虎口が築かれ、横堀先端は北東尾根を掘り切っている。更に横堀2の北東部で3本目の横堀が派生しており、北東尾根に平行に、尾根の先端近くまで掘り切り、その先は腰曲輪となっている。この様に三重横堀で防御した、厳重な普請を施している。一方、主郭の北東角には横堀1に土橋が架かり、帯曲輪から主郭の虎口に通じている。この土橋の部分で、横堀はT字に分岐しており、南側に伸びる横堀は二ノ郭途中で堀がなくなっている。二ノ郭の北端は、横堀1で帯曲輪と分断されており、堀に沿って土塁を築いて防御している。この他、城の南西には搦手と思われる堀状通路などが見られ、また北東尾根には穴が縦に並んだ、意図不明の謎の畝堀状地形が見られる。山田城は、豪快な三重横堀が特徴的で、中々見応えがある。しかし藪のひどい部分もあり、近年部分的に整備が進められているものの、更なる整備が望まれる。
主郭の櫓台→IMG_5795.JPG
IMG_5831.JPG←横堀2

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.074832/140.526917/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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