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大生郷城・天神城(茨城県常総市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_5698.JPG←大生郷城北辺の空堀らしい跡
 大生郷城・天神城は、伝承では一時期、小田原北条氏の城砦となっていたとされる。『東国戦記実録』という真偽不明の軍記物では、大生郷城は関宿合戦で勝利した北条氏の部将江戸氏が城主であったと言う。天正年間(1573~92年)に多賀谷氏の攻撃を受けたことで、江戸氏に変わって北条氏堯が水海道地域の経略を担った。こうして北条氏・多賀谷氏の攻防が繰り広げられ、結局多賀谷氏が勝利を収め、大生郷城・天神城はこの時焼失したと言う。また天神城には、北条氏政が天満宮を焼き払って城を築いたと言う伝承もある様だ。天満宮の社伝には、1576年に北条・多賀谷両氏の戦いにより、社殿が炎上・焼失したことが伝えられている。尚、『日本城郭大系』には、大生郷城は「赤松家祐の居城」とあるが、どの様な履歴なのか詳細は不明である。

 大生郷城・天神城は、東仁連川東岸の段丘上に築かれている。台地先端部に位置している大生郷城に対して、天神城は独立丘陵となっている。いずれもかなり改変を受けているのか、遺構はかなり不明瞭である。
 大生郷城は比高10m程の台地の南端にあるが、主郭と思われる南端の曲輪は宅地と畑になっており、周囲の切岸以外に城跡を思わせるものはない。主郭の北側は堀のような窪地になっているが、古い航空写真を見ると近代に改変されている可能性があり、遺構かどうか不明である。また北の外郭の北辺には堀状地形が見られる。しかしこれも「遺構かなぁ?」というレベルのものである。
 天神城は、現在大生郷天満宮の境内となっており、これも周囲の切岸以外に城跡を思わせるものは皆無である。
 縄張り的にも城の規模としても、北条氏が境目の橋頭堡として築いたにしては、あまりに北条らしくなく、遺構面でも結局のところ、「???」(疑問符)という感想しか感じられない状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【大生郷城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.061554/139.955413/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1

    【天神城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.060462/139.952624/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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タグ:中世平山城
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