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宝篋城(茨城県つくば市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_4904.JPG←南斜面の大堀切
 宝篋城は、南北朝時代に鎌倉府執事として関東に下向し、常陸南朝方を征討した高師冬が、小田城攻めの際に本陣を置いた城である。1338年、関東の南朝勢力再建の為に下向した南朝の重臣北畠親房は、神宮寺城阿波崎城を経て、小田治久を頼って小田城に立て籠もっていた。将軍足利尊氏の執事高師直の従兄弟・高師冬は関東に下向し、各地を転戦して常陸南朝方を討伐した。親房は、小田城において有名な神皇正統記を著すなど、各地の有力武士を味方につけるための必死の工作を続けたが、師冬率いる北朝方の軍勢の攻囲の前に、治久は降伏し、親房は小田城を脱出して関宗祐を頼って関城に逃れた。この小田城攻めの本陣となったのが宝篋城である。

 宝篋城は、ハイキングコースとして有名な宝篋山(標高460.7m)に築かれている。宝篋山城とも呼ばれるが、現地では宝篋城と書かれている。山頂には山名の由来となった大きな宝篋印塔が立つ他、テレビの電波塔が建っており、山頂付近はかなり改変を受けている。しかしいくつかの平場らしい跡が見られ、北東尾根には堀切も確認できる。山頂から尾根を南に降った先に平坦な第2ピークがあるが、こちらが宝篋城の中心で、主郭があったらしい。一部に土塁が見られる他、南側に段曲輪が数段築かれている。その南斜面下方に円弧状に大堀切が穿たれている。更にその南は広大な緩斜面の平坦地が広がっており、いかにも高師冬の率いる大兵力が駐屯可能な地形である。城の中心が、山頂ではなく、南寄りに置かれているのは、宝篋印塔を憚ったからであろうか。城内はハイキングコースとして綺麗に整備されているので、遺構がよく確認できる。想像していたよりしっかりとした遺構が残っており、特に大堀切は外側の土塁の規模も大きく見応えがある。
主郭南側の段曲輪→IMG_4880.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.166090/140.130594/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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