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甲ヶ岳城(京都府綾部市) [古城めぐり(京都)]

IMG_1207.JPG←三ノ郭の土橋と堀切
 甲ヶ岳城は、鴻ヶ嶽城とも記載され、丹波守護代内藤氏が築いた城と言われている。1564年、丹波守護代の八木城主内藤備前守宗勝は、福知山盆地進出の拠点として、一族の内藤正綱に命じて甲ヶ岳城を築かせたと言う。1576年、内藤氏は高津城栗城の大槻氏を攻めたと言われ、その際に甲ヶ岳城は前進基地として大きな役割を果たしたと思われる。1579年、明智光秀が八木城を攻め落とすと、内藤正勝は再起を期して甲ヶ岳城に逃れたが、遂に討死にして甲ヶ岳城も廃城になったと言う。以上が現地解説板などに語られる一般的な伝承であるが、一方、元々この付近は高津城を本城とした大槻氏の支配領域で、安場から観音寺の間に大槻安芸守辰高が城を多数築き、大槻左京亮倫高の代に落城したとされ、甲ヶ岳城もこうした大槻氏の支城群の一つであった可能性も捨てきれない。

 甲ヶ岳城は、標高289.8mの甲ヶ岳山頂に築かれている。北東から尾根上に曲輪を連ねた連郭式の縄張りで、順に四ノ郭・三ノ郭・主郭・二ノ郭・五ノ郭とここでは呼称する。三角点があるのが四ノ郭で、ほとんどが藪に覆われ、緩斜面上に段々に平場群を築いている。南斜面には竪堀が数本穿たれている。四ノ郭からやや幅広の堀切を介して三ノ郭に至る。この堀切には北端に土橋が架かり、南端には堀内障壁がわずかに見られ、三ノ郭側には土塁が築かれている。三ノ郭と主郭の間も堀切で分断されている。主郭は、前面に虎口郭を設け、主郭に登るようになっているが、単純な坂虎口で馬出しという程の機能性はない。主郭には秋葉神社が建っている。主郭後部には低土塁が築かれ、その裏に二ノ郭がある。二ノ郭の南西角には枡形虎口があるが、藪でわかりにくい。二ノ郭の先が五ノ郭で、一面藪に覆われている。この他に、城への登り道の途中にも竪堀が穿たれており、登城道を防衛していたと考えられる。遺構は比較的よく残っているが、あまり技巧性は感じられず、特に四ノ郭や五ノ郭は辺縁部が自然地形に近くなってしまっており、普請も少々荒い感じである。その中では2本の堀切だけが異彩を放っている。
 尚、甲ヶ岳の東と北西の支尾根には茶薄山城・野山砦があり、甲ヶ岳城の出城であったと考えられている。
登山道途中の竪堀→IMG_1166.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.296835/135.222559/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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