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綾部陣屋、附・綾部城(京都府綾部市) [古城めぐり(京都)]

IMG_0374.JPG←保育園北面の急斜面
 綾部陣屋は、江戸時代の九鬼氏の陣屋である。戦国時代、この地の本宮山には八上城主波多野秀治の部将江田兵庫頭行範が1565年頃に築いた綾部城があった(本宮山は、現在は大本教団の聖地になっており、登ることができない)。江田氏は、南北朝時代に南朝軍の総帥であった新田義貞の有力な一族で、太平記にも名高い江田兵部大輔行義の後裔とされる。1579年、織田信長は波多野氏討滅のため、明智光秀の援軍として丹羽長秀・羽柴秀長らを丹波に進撃させた。綾部城は、但馬から侵攻した羽柴秀長により落城し、行範は氷上郡に逃れ氷上郡の城で討死にしたと言う。その後は明智光秀の持ち城となり、光秀滅亡後は羽柴(豊富)秀吉の支配下となった。1515年、大坂の役の軍功により別所豊後守吉治が2万石で入部したが、1628年、遊猟が過ぎるとして改易となった。その後1633年に、九鬼水軍で名高い鳥羽藩の3男九鬼隆季が御家騒動から丹波綾部に2万石で転封となり、綾部藩を立藩して改めて綾部城の西麓に陣屋を構えた。この陣屋も1650年に火事で全焼し、幕府の許可を得て台地上に移城して再建された。そのまま幕末まで存続した。

 綾部陣屋は、この最後の台地上に築かれた陣屋で、せんだん苑南保育園から綾部幼稚園にかけての一帯にあったと言う。比高10m程の段丘となっており、市街化が進んで往時の面影はないに等しいが、北面に往時の切岸跡と思われる急斜面が確認できる。この斜面下には、用水路と若宮清水と呼ばれる井戸が残っており、往時の遺構であるかもしれない。保育園の西側の坂道は大手坂と呼ばれたが、大正6年の貞明皇后行啓の際に、御召の馬車が通行できるように切り下げ工事を行って改変してしまったということである。この道路沿いの保育園壁面に、「綾部城大手門跡」の看板が建っている。
野田城から見た綾部城(本宮山)→IMG_0402.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.295767/135.257277/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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