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長井坂城(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_7035.JPG←主郭・二ノ郭間を通る沼田街道
 長井坂城は、沼田城攻略の拠点となった城である。1560年、関東に出陣した上杉謙信は、沼田城攻略に当たり、沼田を迂回して長井坂に布陣したとされる。この当時、小田原北条氏が関東管領山内上杉氏を関東から駆逐したことで、上野の国衆の多くが北条氏に降っていた。沼田氏では家中で内訌があり、これに北条氏が介入して前当主の沼田顕泰を越後に逐い、北条綱成の次男が入嗣して沼田康元となって沼田城を守備していた。しかし謙信の出馬によって形勢不利と判断した康元は沼田城から退去し、沼田城は謙信に攻略された。謙信死後の1580年、沼田城を攻略した武田氏の部将真田昌幸は赤城西麓を南進し、長井坂城を守備していた白井長尾氏の家臣牧弥六郎・須賀加賀守を駆逐し、これを占領した。1582年10月、武田氏滅亡・本能寺の変後に鉢形城主北条氏邦が5000余騎で長井坂城を囲み、真田方守将の恩田越前守・下沼田豊前守は奮戦の後脱出した。その後、長井坂城は北条氏の属城となり、氏邦の家臣猪俣邦憲が在城して、沼田城攻撃の拠点としたと言う。

 長井坂城は、利根川と永井川に刻まれた比高210mの急崖の上に築かれた城である。棚下砦と同じ段丘が、北端に突き出た部分に当たる。崖端城の通例と異なり、方形郭を並立させた珍しい縄張りとなっている。しかも城の中央部を沼田街道が貫通しており、街道を城内に取り込んだ形態も有している。崖に面した街道西側に主郭を置き、街道東側には二ノ郭を配置している。街道はちょうど2つの曲輪の間の堀底道となっている。主郭も二ノ郭も、基本は方形郭であるが、主郭は街道に向かって横矢の張り出しを設け、二ノ郭も南東角に横矢の張り出しを設けている。また主郭は崖側以外の三方に土塁を築き、南東部に空堀に繋がる大型の虎口を設けている。二ノ郭も街道側以外の三方に土塁を築いており、いずれの曲輪も東に広がる平地からの攻撃に対する防御を強く意識している。主郭・二ノ郭の外周には空堀が廻らされ(但し、二ノ郭北側のみ湮滅)、主郭北側には角馬出が配置され、その周囲にも空堀が穿たれている。主郭・二ノ郭の南側には三ノ郭が置かれ、その南側も土塁と空堀で防御している。三ノ郭は中央を街道が貫通しているので、東西で別郭となっているが、相対する虎口が確認できるので、三ノ郭東西は木橋で連結していたと考えられる。木橋を街道上に架けることによって、防衛線にもなるわけである。東三ノ郭の土塁は高さ5m程もある大土塁で、しかも横矢掛かりを持ち、重厚な防衛陣地となっている。三ノ郭の東にも空堀が伸びて台地東端まで掘り切っており、城の中枢部の東から北にかけて四ノ郭を設けている(現地標柱では三の丸だが、四ノ郭が正しいと思う)。この他、北側は断崖なのに腰曲輪も築かれている。以上が長井坂城の縄張りで、畑となっている二ノ郭以外は史跡として整備されているので、薮も少なく遺構が見やすい。横矢掛かりを多数設けた、戦国末期の築城技術を堪能できる。
 尚、縄張図に関しては、『日本城郭大系』のものより『中世城郭事典』のものがより正確である。
主郭南側の空堀→IMG_7120.JPG
IMG_7048.JPG←二ノ郭の横矢掛かりの土塁・空堀
三ノ郭の大土塁→IMG_7063.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.585157/139.065220/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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