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龍岡城(長野県佐久市) [古城めぐり(長野)]

IMG_1159.JPG←稜堡式の水堀の屈曲
 龍岡城は、函館五稜郭と並ぶ幕末の稜堡式城郭である。三河奥殿藩は、信州佐久郡に12000石、三河に4000石の所領を持ち、宝永年間(1704~11年)以来、本拠を三河に置いていた。奥殿藩大給松平家最後の藩主となった松平乗謨(のりかた)は、1862年の参勤交代の緩和を機に、三河奥殿の城地の狭さと領地の大部分が佐久郡にあることを理由に、幕府の許可を得て本拠を佐久郡田野口村に移し、田野口藩と改名した。乗謨は、20歳代であったが学才識見に優れ、蘭学・フランス語にも精通した開明的な人物で、幕府の若年寄・陸軍奉行・老中格・陸軍総裁に就任した逸材で、他藩に先駆けてフランス式の兵制を採用していた。新城郭の建造にあたっては、17世紀フランスの築城家ヴォーバン元帥の考案した稜堡式城塞を採用し、1863年に縄張りを開始し、1867年に竣工した。しかし大給松平家は城を持つ資格のない「陣屋格」であったため、天守閣などの防備施設を建造することができず、政務と藩主住居を兼ねた御殿と台所、陣屋住み藩士の小屋、番屋、太鼓楼、火薬庫などが城内に建てられたが、既に幕末の動乱が世を覆っていて、堀などは全周しておらず未完の城となった。また乗謨は、明治元年に大給恒と改名し、佐野常民と共に日本赤十字社の前身博愛社を創設した。

 龍岡城は、函館五稜郭と比べればかなり小型の城で、外周の堀や石垣もその気になれば簡単に乗り越えられそうな規模である。そもそも城の北側至近に田口城が築かれていた山があり、そこに砲台を築かれたら軍事的には全くの無力で、何のために築いたのか意味不明である。現地で入手したパンフレットには、「この星型稜堡を有する五稜郭は、(中略)山から遠く離れた平野の真ん中にあってこそ、その機能を十分に発揮できる平城」で、「乗謨の洋学知識では十分わかっていたはずなので、この築城は生涯に一度の夢を託したものであったといえる」とある。幕末の世情不穏な中、藩主の趣味で城などに大金を注ぎ込まれたら、家臣・領民としてはたまったものではないと思うのだが、怨嗟の的になったわけでもなく遺構は綺麗に残されている。前述の水堀・石垣の他、城内外周は土塁が残り、その他の現存遺構として城内に台所の建物や、城から少し北に離れて桝形石垣が残っている。また新海三社神社の近くの民家には、移築門が残っているが、なんとここには移築塀まで残っている!移築門はどこでもよくあるが、移築塀と言うのは初めてである。日本城郭史学会の方から「移築塀っていうのもあるんですよ」とは聞いていたが、これかぁ!と感嘆した。
珍しくも貴重な移築塀→IMG_1145.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.196010/138.501388/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


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タグ:近世平城
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