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浄法寺館(群馬県藤岡市) [古城めぐり(群馬)]

IMG_8940.JPG←浄法寺
 浄法寺館は、武蔵御嶽城主であった長井豊前守政実の居館である。元々は、南北朝期に白旗一揆の一翼を担った浄法寺氏の居館であったらしい。浄法寺氏は、1352 年の武蔵野合戦の際、浄法寺左近大夫が白塩下総守・高山越前守・小林右馬助の諸将と共に白旗一揆として足利尊氏に味方し、新田義宗・同義興・脇屋義治らの軍勢と戦っている(『太平記』第31巻)。時代は下って戦国時代になると、浄法寺館は長井駿河守忠実・豊前守政実・右衛門信実3代の居館となった。武田信玄が西上州に侵攻すると政実は武田氏に従属し、1570年、小幡信尚と共に武蔵八千貫地を切り取り、三千貫文を与えられて武蔵に移ったが、信玄没後には上野島名城主となった。1582年、政実の子信実は、武田氏・織田信長滅亡後にこの地を制圧した北条氏に抗して越後に去ったが、1590年の小田原の役の際、上杉景勝の軍勢に属して上州へ侵攻し、藤田信吉と共に多比良城を攻略した。役後、その功によって信実は旧領浄法寺を与えられたが、江戸時代初期に参勤交代の幕命に従わず改易され、1614年に播磨の配所で没したと言う。

 浄法寺館は、現在の浄法寺の地にあった。境内には既に明確な遺構はなく、単なる寺の境内という以外に言い様がない。一方、この寺には伝教大師最澄が来たと言う伝承があるらしい。境内奥に「伝教大師護摩御修行舊跡石爐壇」と言う史跡が残っている。「なんで最澄が群馬に?」と思ったが、後で調べてみると実際にこの地まで来て布教活動を展開したらしい。城館としてより、最澄の旧跡としての史跡価値の方が余程貴重に感じた。

 尚、『日本城郭大系』では、「武蔵金鑚御嶽城・上州三ツ山城などを堡塁とし、現在の浄法寺の場所を館とした浄法寺地域城」と言う概念を記載している。この「地域城」という概念には私は非常に懐疑的なのだが(単に「城砦群」と言うなら話はわかる)、浄法寺館主の長井政実は武蔵御嶽城の城主でもあったので、少なくとも御嶽城が浄法寺館の詰城として機能していたことは間違いないだろう。
浄法寺から見た御嶽城→IMG_8951.JPG
IMG_8946.JPG←伝教大師旧跡の石爐壇

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.191334/139.059727/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


伝教大師最澄の寺を歩く―比叡山延暦寺を中心に、最澄ゆかりの地へ (楽学ブックス―古寺巡礼―古寺巡礼)

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  • 作者: 堀澤 祖門
  • 出版社/メーカー: ジェイティビィパブリッシング
  • 発売日: 2007/03/31
  • メディア: 単行本


タグ:居館
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