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三日城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_5455.JPG←主郭から見た前面の堀切
 三日城は、北信濃をめぐる武田信玄との抗争の際に、上杉謙信が築かせた城と伝えられる。弘治・永禄年間(1555~69年)に川中島をめぐって甲越両軍は5度に渡って戦いを繰り広げたが、その中で謙信は元取山(髻山)に在陣し、家臣甘粕近江守数直に命じてこの砦を築かせ、わずか3日で落成したことから、三日城と呼ばれる様になったと言う。髻山城の普請が完成するまでの仮の砦であったとされる。『信濃の山城と館』の著者宮坂武男氏は、上杉軍は髻山城・三日城・手子塚城大倉城のラインを大事な防衛線としていたと推測している。

 三日城は、髻山城の南東1.6kmの位置にある、標高450m、比高70m程の丘陵上に築かれている。山の東側の谷戸に畑の中を登っていく道があり、その奥左手に小学生が作った案内板があり、登山道が南西へと伸びている。傍から見るとただの山林だが、一応城跡は「三念沢自然公園」という公園になっている様で、展望台も建てられている。非常に小規模な城で、低土塁で囲まれた方形の主郭と、その南東側にコの字型の土塁が付随し、主郭前面(北東側)と左方(北西側)を堀切・横堀で防御した縄張りとなっている。コの字の土塁は、南側で土橋状に主郭に連結しているが、土橋の西側に竪堀が穿たれている。よく見ると、この土橋から主郭土塁の脇を武者走りがすり抜けて、主郭の虎口らしい土塁の切れ目につながっているので、一見しただけではわかりにくいが枡形虎口になっていたことがわかる。そうすると、前述の土橋脇の竪堀は動線制約の竪堀であったことも判明する。その他では、主郭の北東の丘陵地は自然地形のままで、明確な普請の跡は見られない。一方、主郭の南東には小ピークがあり、物見台になっていたらしく、東側に竪堀が穿たれている。しかし主郭以外はほとんど自然地形に近い。結局、臨時の陣城であり、たしかにこの程度の砦なら3日で完成したであろう。だが主郭の普請はしっかりしており、主将が主郭に陣取ったほかは、なだらかな丘陵全体に軍団を駐屯させていたのだろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.711624/138.257554/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


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