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菅の山城(長野県山ノ内町) [古城めぐり(長野)]

IMG_5151.JPG←二ノ郭の櫓台
 菅の山城は、菅城とも呼ばれ、高梨氏の庶流小島氏が拠った城と伝えられている。しかし別説もあり、高梨某が築いてその家臣時田甲斐守の居城となり、後に時田氏の家臣竹腰次郎の居城となったとも言われている。小島氏は、南北朝期頃に須毛郷に入部したらしいが、その後1513年に小島高盛は本家の高梨氏へ反乱を企てたが鎮圧され、滅亡した。しかしその分家が下之郷に居て残り、武田信玄が北信濃に侵攻すると、いち早く武田氏に降り、高梨氏敗退の契機となった。高梨政頼が居館の中野小館を出て飯山城まで退くと、小島氏は中野小館に入った様である。1582年、武田氏滅亡と本能寺の変での織田信長の横死によって、権力の空白地帯となった北信濃に上杉景勝が進軍し、上杉氏に仕えていた高梨氏が信濃の旧領に戻ると、小島氏は中野小館を明け渡し、菅へ戻ったとされる。

 菅の山城は、鴨ヶ嶽城・鎌ヶ嶽城の南の尾根続きの、標高700m、比高100m程の山上に築かれている。すぐ南には更科峠を通る古道がある。更科峠からも小道があるし、南東尾根の麓からも鴨ヶ嶽林内歩道という登山道が整備されているので、訪城は容易である。南東麓から高さ70m程登ると平坦な尾根となり、周囲に腰曲輪が築かれているので、既に城域に入ったことがわかる。更に登ると、数段の段曲輪を経て電波塔やテレビアンテナが建てられた曲輪に至る。かなり長さがある曲輪で、小屋掛けぐらいはあったと思われる。ここも周囲に帯曲輪が確認できる。そこから段曲輪を3段ほど経て、城の中心部に至る。中心部は堀切で分断された3つの曲輪で構成されている。中央が主郭で、その背後に二ノ郭、主郭の前面に三ノ郭が築かれている。まず前面の三ノ郭は小さな方形の曲輪で、周囲に腰曲輪を廻らし、北東側に小郭を築き、その両側に竪堀を落としている。三ノ郭から堀切を挟んで縦長の主郭がある。主郭には祠が祀られ、後部に土塁が築かれている。主郭の両側には腰曲輪が築かれ、主郭前後の堀切と連絡している。主郭背後は城内でも最も大きな堀切が穿たれ、その西側に二ノ郭が築かれている。ニノ郭は後部に大きな櫓台を築き、曲輪の外周に土塁を廻らしている。二ノ郭の西側にも堀切が穿たれて城域が終わっている。それぞれの堀切は、両側に竪堀となって落ち、その側方には竪土塁も築かれている。
 菅の山城は、それほど大きな城ではないが、普請はかなりしっかりしており、堀切も最大のもので深さ3~4m程もあって、このサイズの城としては規模が大きく、なかなか見応えがある。
主郭背後の堀切→IMG_5132.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.733553/138.395913/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館〈8〉水内・高井・補遺編

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/01/10
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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