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館宿城・大祥寺城・笠根城(茨城県つくば市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_5616.JPG←笠根城の竪堀
 館宿城・大祥寺城・笠根城と隣接するように築かれた3城の内、大祥寺城は下総の豪族で豊田城主豊田氏の支城である。大祥寺の寺伝によれば、1504年に豊田氏の家臣藤原清知が大祥寺城を築いて居城としたと伝えられている。1533年に、栗崎城主原外記が祥庵寺を大祥寺城の地に移して名を大祥寺と改め、その開基となった。この時には藤原氏は既に居城を移していたらしく、それが笠根城だったのではないかとする説もある。
 館宿城は、1535年に栗崎城を攻略した下妻城主多賀谷重政が、家臣の渡辺道金に命じて築いたと言われる。
 笠根城は、歴史不詳である。
 これら3城のその後の歴史は不明であるが、1590年2月には大祥寺が多賀谷修理大夫(重経)より寄進を受けていることから、館宿城の築城以降は多賀谷氏の支配下に入っていたことは確実であろう。

 館宿城・大祥寺城・笠根城の3城は、小貝川東岸の比高10m程の低台地上に築かれている。谷戸を挟んで3つの城が寄り添うように密集している。いずれも宅地化などで改変が進んでおり、往時の縄張りを推測することは難しい。
 館宿城は、3城の中で最も残存状況が悪く、ほとんど遺構を留めていない。南北に伸びる舌状台地を東西に貫通する車道が、往時の堀切の名残だろうか?とか、車道脇にある神社の高台が往時の櫓台跡か?などと推量するだけである。また東側には腰曲輪らしい畑地が見られる。
 大祥寺城には、大祥寺の北側の竹林の中に堀らしき溝や土塁らしい土盛りが確認できる。しかし本当に遺構かどうかははっきりしない。おまけに現在、売地になっている様で、遺構の運命は風前の灯である。
 笠根城は、館宿城同様に宅地化が進んでいるが、最も遺構をよく残している。西斜面に竪堀が残り、北側の山林内に虎口か船着場の様な窪地状の地形が確認できる。
 いずれにしても3城ともあまり大した遺構ではなく、残念な状況である。
館宿城の腰曲輪っぽい畑→IMG_5560.JPG
IMG_5566.JPG←大祥寺城の溝状地形

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:【館宿城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.141522/140.008543/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

    【大祥寺城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.141418/140.010817/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0

    【笠根城】http://maps.gsi.go.jp/#16/36.139616/140.007191/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0


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