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大森山楯(宮城県川崎町) [古城めぐり(宮城)]

IMG_3227.JPG←北腰曲輪から見た主郭
 大森山楯(大森山館)は、大森和泉守という武士の居城であったと伝えられている。しかし大森和泉守の事績は全く不明で、どの時代の武士かもわからない。現地標柱には「安倍一族の智将」とだけ記載されているが、前九年合戦で滅ぼされた安倍頼時・貞任の一族ということであろうか?一方で解説板には、「この山城の築城は戦国時代と思われる」とあり、詳細はよくわからない。

 大森山楯は、前川本城から南西に2.3kmの位置にそびえる標高421.7m、比高220mの大森山に築かれている。大森山は3つの峰から成る山稜で、城はこれら3つの峰全体を城域としている。東の峰から順に東出曲輪、主郭、二ノ郭、主郭と二ノ郭の間の鞍部が三ノ郭と思われる。北東麓より、東出曲輪にある青森(あおそ)神社に至る登り道が付いている。ここから鳥居をくぐって登ると、北東に伸びた尾根の先端に至る。ここには倒れた石祠があり、明確な普請はないが、自然地形の平場となっており、北端の物見であったと思われる。ここから延々と南西に尾根筋を登っていくと、ようやく東出曲輪に至る。頂部は平坦で、青森神社の崩れた石祠とガマガエルの石像がある。東側に3段の腰曲輪が確認できる。ここから西の鞍部を越えた第2峰に主郭がある。道が明確なのは東出曲輪までなので、ここから先は藪漕ぎをしながら登るしかない。主郭は周囲を低土塁で囲まれた縦長の曲輪で、南側は土塁が開いており虎口を形成していた様であるが、主郭内は枯れ草の藪で覆われ、明確には判別できない。北・東・南に腰曲輪を伴っている。南は2段程に分かれて南西尾根に繋がっている。南の腰曲輪の先に小堀切が穿たれている。この堀切を北に降った先は広い谷戸になっており、何段かの平場が確認でき、解説板にある「井戸沢」と呼ばれる水の手と思われる。前述の堀切から先はV字状に曲がった平坦な尾根で、堀切近くに土塁も見られることから三ノ郭であったと思われる。V字の頂点に当たる南端部はわずかに高くなっており、物見台であったと考えられる。ここから北に進むと、ピーク上に曲輪があり、ここではこれを二ノ郭としておく。二ノ郭の北側にも堀切があり東側に長い竪堀となって下り、二ノ郭側に竪土塁が築かれている。この北のピークにも曲輪があったかもしれないが、藪がひどかったのでここで撤収した。後でよく考えたら、この北のピークが本当の二ノ郭だったかもしれないが、見ていないのでなんとも言えない。
 尚、大森山の3つの峰で最も高所にあるのは西の第3峰だが、解説板はそれより低い真ん中の第2峰を主城としているので、ここでの表記もそれに従った。また解説板によれば、山の西に広がる平地が武芸の訓練をした「武士平」、山の北側に大手門があったので「大手原」と呼ばれていると言う。

 以上の通り、大森山楯は一城別郭の構成で、山全体を城域とした広い城だが、縄張りは古色蒼然としたもので、技巧性もなく、期待できる遺構は見られなかった。元々この城に登ったのは、近くの前川本城があまりに素晴らしかったので、その近くにある山城はどうなのかという興味からであったが、残念な結果に終わった。
主郭南西尾根の堀切→IMG_3294.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.160746/140.608156/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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