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祖母井城(栃木県芳賀町) [古城めぐり(栃木)]

IMG_5071.JPG←解説板の後ろに残る土塁
 祖母井(うばがい)城は、宇都宮氏の家臣祖母井氏の居城である。祖母井氏は、元々は下総の名族千葉氏の一族で、大須賀氏の庶流に当たる。大須賀氏の事績については松子城の項に記載する。大須賀四郎胤信の3男嗣胤は、執権北条時頼が三浦泰村を滅ぼした1247年の宝治合戦で敗北し、宇都宮氏を頼って下野国君島(現在の真岡市)に移り、君島十郎左衛門尉を名乗った。そして、嗣胤の次男貞範がこの地に移り住んで祖母井左京介を称し、祖母井氏の祖となったと言われている。以後、祖母井氏は代々宇都宮氏に忠節を尽くし、伊予守護を一族で兼帯していた宇都宮氏が、鎌倉後期になって8代貞綱の弟泰宗を初めて伊予に下向させて伊予宇都宮氏を分立した際、その家臣団の一員として祖母井一族も伊予に下向している(現在では、祖母井姓は栃木県より愛媛県の方が多いらしい)。祖母井城は、天文年間(1532~55年)に祖母井信濃守吉胤が築いたと言われ、吉胤は1558年の多功城での戦いで上杉謙信の軍勢と戦って討死した。また信濃守定久は、戦国末期の小田原北条氏による宇都宮攻撃の際、北条勢を迎え撃ち、また多気山城の守備勢の一翼を担った。信濃守高宗は豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍し、戦功を挙げた。1597年に宇都宮氏が改易になると、祖母井氏も没落し、祖母井城は廃城となった。

 祖母井城は、五行川東岸の低大地の西際近くに築かれていた。現在主郭跡の一部は公園となっているが、遺構は壊滅的な状況である。公園東の旅館の裏に長さ10m程の土塁が残っているのが、唯一の明確な現存遺構である。戦後間もなくの航空写真を見ると、主郭の北・西・南の三方を巡る堀跡が確認でき、主郭北辺には土塁も残っている。前述の現存遺構の土塁は、主郭南東部のものの様だ。主郭の北と南にも曲輪らしい跡が見られ、北郭の西・北外周にやはり堀跡が見られる。現状の航空写真と見比べると、この北郭の堀跡は、現在は田福院外周の水路となって往時の名残を残している様だ。北郭堀の外周にも帯曲輪があった様である。南郭は現在の芳賀町体育館のある場所で、昔は学校が建っていたらしく、戦後の写真で既に破壊を受けている。南郭の更に南にももう1郭あった可能性があるが、戦後間もなくでも耕地化による改変が進んでいて、はっきりとはわからない。いずれにしても、前述の土塁だけが明確な城の名残である。
北郭の堀跡の水路→IMG_2719.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.550362/140.059955/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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