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高城城(京都府綾部市) [古城めぐり(京都)]

IMG_1631.JPG←主郭背後の2本土橋の堀切
 高城城は、八田城とも言い、何鹿郡の国人領主大槻氏一族の城である。南北朝時代に大槻左馬頭清宗がこの地の地頭となって入部し、高城山上に高城城を築いたと言われている。大槻氏の事績はあまり明確ではないが、足利尊氏・直義兄弟が全国に建立した安国寺の寺役の職務を司ったと言われ、そうした室町幕府との結び付きがあったためか、室町時代を通じて何鹿郡の中北部に勢力を扶植し、高城大槻氏を始め、高津城栗城などに一族が蟠踞した。天正年間(1573~92年)の明智光秀による丹波平定では、大槻清秀は明智勢に攻められて自刃したと言う。1591年、清秀の子清勝は500石で豊臣秀次に仕え、1615年の大阪夏の陣で討死したと伝えられている。又、高城城は1406年に地震などで大破したと言う。

 高城城は、標高298.7m、比高210mの高城山に築かれている。現在ではほとんど人が入らない山らしく、登山道は東麓の久香寺からのもの以外は道がわからなくなっている様だ。東の登山道を使うと、途中神社やNTT基地局を経由する長い尾根の縦走をして、ようやく城域に達する。最初に眼前に現れるのが主郭背後の堀切で、ここには東掛城で見られたのと同じ2本土橋が架かっている。主郭は背後に低土塁を築いた城内で一番広い曲輪で、南西部に西尾根に連なる曲輪群に通じる城道が降っている。西尾根の曲輪群は切岸だけで連ねられた段曲輪群で、先端に当たる最下段の曲輪の側方に枡形虎口が築かれている。この他には北出曲輪と南出曲輪があり、北出曲輪には背後に土橋の架かった堀切が穿たれ、南出曲輪には側方に竪堀が穿たれている。これらに繋がる城内通路は比較的明瞭に残っている。遺構としては以上で、単純であまり面白みのない遺構である。藪も少々多めなので、写真映えもせずパッとしない城である。
最下段曲輪の枡形虎口→IMG_1660.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.348815/135.299442/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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