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桝形城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

IMG_2286.JPG←虎口の櫓台、左側は竪堀
 桝形城は、歴史不詳の城である。周囲の山々には旭山城葛山城大峰城若槻山城等があることから、武田・上杉両氏の川中島における攻防に関わった城と推測されている。一説には、1557年の武田勢による葛山城攻撃の際に、武田軍がこの付近に陣を張ったとも言われ、それとの関連も指摘されている。

 桝形城は、地附山北東の標高706mの小ピークに築かれた城である。すぐ南を戸隠バードラインという道路が通っているのだが、昭和60年に発生した地附山の地滑りで廃道となっており、大峰山の閉ざされたゲートから延々と歩かないと城まで到達することができない。しかし城自体はハイキングコースとして現在でも整備されている。大きな主郭と、その南の谷戸を挟んで高台となった横長の二ノ郭から成る、比較的小規模な城だが、構造はかなり複雑である。まず二ノ郭は南側を空堀で分断しているが、幾重にも塁線を折れ曲げて横矢を掛けた構造で、二ノ郭自体も南側を土塁で囲んで防衛しており、この付近では類例の少ない造りである。主郭との間の谷戸には中間に低土塁が築かれ、斜面に手を加えて堀切としているが、あまり鋭さはない。一方、主郭周囲は複雑で、谷戸から主郭に至る虎口は横堀・竪堀を複雑に組み合わせて幾重にも折れ曲げた動線とし櫓台も築いている。また西側の横堀北端をほぼ直角に曲げて竪堀で落とすなどの技法も見られる。主郭の北斜面にも腰曲輪があり、その下方にも竪堀状虎口で繋がった曲輪群が広がっている。以上の様に、桝形城は規模の小さな城であるが、かなり技巧的な築城技術が投入されていて見応えがある。
 尚、信州の城巡りには欠かせない宮坂武男氏の縄張図であるが、結構遺構の見落としが多いことに気付いた。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.681808/138.189425/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
タグ:中世山城
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コメント 2

らんまる

連コメご容赦ください・・(笑)

大名系城郭とか大名系の縄張りって解釈はあまり好きになれないのですが、甲越紛争における旭山城周辺の山城は長大な横堀と竪堀を交錯させて時に幾何学的な複雑な防御構造を伴っているので、往時の最新の技術集団が設計・監修した物であることが垣間見れます。

旭山城の派生形が大峰城と枡形城(最終形が仙当城と思う)であり、葛山城は異質で系統が異なるように思えます。

「縄張りの美しい城は籠城戦でも強い」というのが持論ですが、旭山城は北信濃を代表する堅固な山城ゆえに和睦の条件として破城されました。何度訪れても魅了して止みません・・(笑)
by らんまる (2016-10-02 20:23) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
こんばんは。北条氏系の城や伊達氏系の城を巡り歩いて思ったのですが、戦国大名が領有した広い領土の中で、築城のコンセプトや縄張りの類似性をどのように維持・発展させたのか、不思議でなりません。

私も大名隷下の「最新の築城技術集団」なるものがあって、領域のあちこちに派遣されて設計・監修したのだと思うのですが、移動手段と時間の制約の中で、これだけ広範に活動できたのだろうか?と不思議に思うことが多々あります。

仮にそれができていたとして、出張手当とかどうなっていたんだろーなー、なんて思ってしまうのは現代サラリーマンの悲しい性ですね。
by アテンザ23Z (2016-10-03 00:00) 

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