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石龕寺 足利将軍屋敷跡(兵庫県丹波市) [古城めぐり(兵庫)]

IMG_6209.JPG←足利将軍屋敷跡とされる平場
 石龕寺は、飛鳥時代の587年に聖徳太子(厩戸皇子)によって建立されたと伝えられる古刹である。鎌倉時代から室町時代にかけて隆盛を極め、慶派仏師の一人、肥後別当定慶が1242年に制作した仁王像(国重文)が山門に収められている。南北朝時代には、足利尊氏が弟の直義と争った観応の擾乱の時、京都から敗れて播磨に逃れた際に、嫡子義詮に仁木頼章・義長兄弟ら2千騎を付けて石龕寺に留め置いたことが、太平記に記載されている。この時に、後に2代将軍となった義詮が逗留したのが、現在石龕寺 奥の院となっている場所と言われている。後には明智光秀の丹波平定戦の際に、石龕寺は仁王門を残して一山灰燼と帰した。

 足利将軍屋敷跡は、石龕寺の本堂付近から山道をずーっと登っていった、奥の院の地にある。この道は、参道とは名ばかりで、ほとんど里山トレッキングの山道で、高齢者ではよほど体力に自信のある人でなければ登るのは無理であろう(高齢キャッスラーなら問題ないが)。地形図で見ると、本堂からの高低差は150mもある。登りついた先には平成6年に再建された鐘楼があり、そこからほぼ水平に北へ道を辿ると岩窟を利用して建てられた奥の院(古の石龕寺本堂)がある。更にそのちょっと先に小さな平場があり、「足利将軍屋敷跡」の石碑が建っている。非常に狭小な平場で、せいぜい小さな小屋掛けぐらいしか建てられる面積がなく、いかに敗軍の将とはいえ、兵2千騎を連れた義詮がこんな所に2ヶ月も逗留したのか、少々信じ難い。何しろ狭いので、身の回りの世話をする小姓数人と仁木兄弟だけでいっぱいになってしまうだろう。ただ、この平場から西にやや降った所に、腰曲輪状の平場が数段あるので、大将の義詮と小姓だけが上の平場に居て、その他の武将や衛兵はこの腰曲輪に居た可能性もある。いずれにしても、この場所に義詮が逗留したのが事実かどうかは別として、石龕寺は足利氏に縁の深い寺であるので、太平記フリークならば必見であろう。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.101478,135.028893&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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