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大洞山楯(山形県南陽市) [古城めぐり(山形)]

IMG_2936.JPG←石積みの見られる虎口
 大洞山楯は、歴史不詳の城である。置賜盆地から上山を経て山形に通じる街道を眼下に収め、街道を挟んで虚空蔵山楯に向かい合うような位置にあり、その北方には伊達氏屈指の山城、岩部山城があること、また虎口に石積みが見られることから、伊達政宗が最上義光の侵攻に備えて街道沿いに築いた城砦群の一つだったのではないかと、個人的に推測している。

 大洞山楯は、高ツムジ山の北西の支尾根の先端部、標高470m、比高190mのピークに築かれた山城である。登り道は無いが、比較的登りやすい斜面なので、北西麓の適当なところから取り付いて直登するのが手っ取り早い。山頂に南北に細長い主郭を置き、北面から西面にかけて幾つもの帯曲輪群を設けた多段式の縄張りで、外周に横堀を配した、伊達氏の山城に多い形態となっている。主郭は灌木が多くて確認しづらいが、北端部がやや高くなっている様である。しかし主郭は全体に削平が甘く、その規模も相まって大した居住性を有していない。主郭背後には二重掘切があり、内側のものだけ土橋が掛かっている。どちらの掘切も西斜面に長い竪堀となって落ちている。主郭にはこの堀切に沿って土塁が築かれ、土塁も掘切から続く竪堀に沿って竪土塁となって最下段の帯曲輪まで繋がっている。城の大手道は北西にあり、横堀と帯曲輪群を経由する形で幾重にもクランクした巧妙な枡形虎口が築かれている。この虎口付近には、わずかに石積みが確認できるが、岩部山城など伊達氏の構築と思われる山城でも、特に輝宗・政宗期の戦国末期の城でしか石積みは確認できず、これらの特徴から考えれば、戦国末期の最上義光との抗争の中で築かれた小城砦と考えるのが良さそうである。比較的簡素な縄張りの城であるが、伊達氏の山城の特徴をよく残している。
北側斜面の横堀→IMG_2920.JPG
IMG_2928.JPG←虎口の石積み
主郭背後の二重掘切→IMG_3009.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.071271,140.195171&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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