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赤松山楯(山形県南陽市) [古城めぐり(山形)]

IMG_2110.JPG←畝状竪堀
 赤松山楯は、歴史不詳の城である。一説には、嘉吉の乱で将軍足利義教を暗殺して幕府軍の討伐を受けた播磨守護赤松氏の一族がこの地に逃れてきて住んだのではないかとも言われるが、確証はない。

 赤松山楯は、和田集落北側の山稜から南北に伸びる、比高100m程の支尾根上に築かれた城である。『山形県中世城館遺跡調査報告書』で「伊勢エビ状」という面白い表現で記載される通りの形状で、南北に伸びる細長い尾根上に多数の段曲輪群を一直線に連ねている。東側斜面には2段の帯曲輪を設け、主城域の前面と主郭背後を堀切で分断している。主郭は最上部にあるが、幅は狭く居住性がなく、この城があくまで有事の際の詰城であったことを物語っている。この城で特徴的なのは、前面の掘切に連なる形で東側斜面に穿たれた畝状竪堀である。明らかに堀切と連携した形で穿たれており、帯曲輪への斜面移動を制約する目的で穿たれている。この他には、左右の斜面に数段の腰曲輪が築かれているのと、登り口近くの尾根上にも、腰曲輪状の平場が確認できる程度である。全体的な造りとしては中ノ在家楯に近い形態で、多数の段曲輪群で構成された城である。山麓から道が付いており、城内の藪も少なく遺構の確認がし易い。尚、赤松氏伝説はただの仮託と思うが、いかがであろうか?
主郭背後の掘切→IMG_2172.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.070173,140.106229&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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