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梨郷上楯(山形県南陽市) [古城めぐり(山形)]

IMG_1947.JPG←大手虎口
 梨郷上楯は、伊達氏の重臣増田摂津守興隆の居城である。増田氏は伊達氏の庶流で、伊達稙宗・晴宗・輝宗・政宗と数代にわたって仕えた。特に興隆の妻は独眼竜政宗の乳母でもあり、興隆の嫡子将監宗繁は政宗の乳兄弟に当たる程、伊達宗家と近い間柄であった。1591年に政宗が岩出山に移封となると、増田氏も伊達氏に従ってこの地を離れた。

 梨郷上楯は、竜樹山と経塚山の間の比高70m程の丘陵上に築かれている。広く平坦な主郭を最上部に置き、周囲に腰曲輪を廻らし、主郭から南に伸びる緩斜面の尾根に段曲輪群を築いている。この段曲輪群は耕作放棄地で、畑地だった頃の給水施設などが残っているため、やや改変を受けている。主郭背後には土塁も築かれている。この城で特徴的なのは、2ヶ所に築かれた枡形虎口で、特に南西の大手虎口は側方に櫓台を備え、伊達氏の城らしく端正に構築されたものである。西側の搦手虎口には、囮虎口らしきものまで備えており、二重に屈曲させた巧妙な動線である。その一方で、背後の尾根には掘切がなく切岸のみで、意外と防御は薄いのが不思議である。背後の尾根を辿ると竜樹山楯に通じることから、竜樹山楯を詰城として一対で機能したものかも知れない。残念なのは、全山笹藪で覆われており、雪解け直後の時期以外は遺構の確認が厳しいかもしれない。薮でコンタクトレンズを失くしかけたほどである。南東斜面には小規模な畝状竪堀もあるとされるが、これも笹薮で皆目わからない。尚、東麓の本覚寺には増田摂津守の墓が建てられている。
主郭の切岸→IMG_1918.JPG
IMG_1988.JPG←主郭西側の腰曲輪
搦手の枡形虎口→IMG_2009.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.056675,140.087979&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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