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倉ヶ崎城(栃木県さくら市) [古城めぐり(栃木)]

DSC02099.JPG←ニノ郭の大堀切
(2006年12月訪城)
 倉ヶ崎城は、喜連川城とも、或いは大蔵ヶ崎城とも呼ばれ、喜連川塩谷氏の居城である。喜連川塩谷氏は、川崎城を本拠とした川崎塩谷氏の傍流に当たり、1186年に塩谷五郎惟広が築いたと伝えられている。しかし惟広の頃の塩谷氏は源姓塩谷氏で、本家の塩谷氏は嗣子がなかったため宇都宮業綱の二男を養子として迎えて、塩谷朝業となり、以後宇都宮氏の支族として重臣の列に連なった。一方、喜連川塩谷氏は宇都宮氏との繋がりが薄く、その為戦国時代に入って那須氏と宇都宮氏が対立すると、喜連川塩谷氏は那須方に付いて宇都宮氏と戦った。戦国末期には、川崎城主塩谷義孝の弟孝信が喜連川塩谷氏の養子となって倉ヶ崎城主になったが、兄と対立して争った。1590年の小田原の役の際、孝信は何らかの不手際があったらしく、豊臣秀吉から譴責を受けて倉ヶ崎城を去り、倉ヶ崎城は廃城となった。

 倉ヶ崎城は、荒川とその支流内川に挟まれた比高60m程の三角形状の台地先端に築かれている。現在、お丸山公園となっており改変を受けているが、全体に遺構は良く残っている。堀切で分断された曲輪を直線的に配置した連郭式で、先端から主郭・ニノ郭・三ノ郭となっている。主郭は前面も堀切で防御し、更に台地先端に向かって段曲輪群を配置して防御を固めている。主郭背後・ニノ郭背後はそれぞれ深さ10m以上の大堀切で分断されている。これらの掘切はいずれも直線的なものだが、三ノ郭の掘切だけは2ヶ所でクランクして横矢が掛かっている。しかし三ノ郭の掘切は、埋もれてしまったのか、主郭・ニノ郭のものと比べるとかなり浅くなっている。土塁は三ノ郭背後とニノ郭の一部に見られる。この城は、南側斜面は急峻だが北側斜面は緩やかな為、北側斜面にだけ段々に腰曲輪が築かれている。倉ヶ崎城は、縄張りは単純であるが、大規模な掘切は見応えがある。もう少し曲輪内の改変が少なければ、素晴らしい城址公園だったのだが・・・。
三ノ郭の土塁→DSC02115.JPG
DSC02126.JPG←三ノ郭掘切の横矢掛かり
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=36.71835,140.022629&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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