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森山城(千葉県香取市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_8776.JPG←主郭の空堀
 森山城は、千葉氏の東総支配の拠点城郭である。伝承では、元々の創築は鎌倉初期の1218年に、千葉常胤の6男東胤頼が築いたと言われている。東氏が美濃に移住すると、その後は東氏の支族海上氏が森山城を支配したとみられる。天文年間(1532~55年)には、海上氏を継いだ千葉胤富が森山城を居城としたが、1557年に千葉宗家の親胤が家臣に殺害された為、胤富は宗家を継いで本佐倉城に移り、粟飯原胤次が代わって城主となり、その後千葉氏の重臣原親幹が城主となって、以後は原氏の居城となった。この間も、小田原北条氏の支援を受けた千葉胤富の主導で森山城は改修され、東の台地続きの須賀山城を取り込んだ大城郭へと整備され、千葉氏領国の北辺を守備する拠点へと変貌を遂げた。戦国末期の1585年に宗家の千葉邦胤が家臣に殺害された後は、原若狭守・大炊助父子が小田原北条氏と直接結びついて自立化した。この頃には北条氏の影響力が浸透し、森山城は北条氏の支城へと変貌した。1590年の小田原の役で森山城も廃城となった。

 森山城は、比高50m程の台地を広範囲に城域とした城である。「原文書」という同時代資料により、東の須賀山城を外郭として取り込んだ巨大な城郭であったことが判明している。城内は畑や牛舎となって改変されているが、全体に遺構は良く残っている。基本的には台地の形に沿って曲輪を一列に配置した連郭式の縄張りで、先端から順に主郭・ニノ郭(1)・ニノ郭(2)・三ノ郭・鳳凰郭が並んでいる。鳳凰郭の南東にやや距離を置いて須賀山城が築かれている。鳳凰郭はただの一面の畑で明確な遺構に乏しいが、中央北部に東常縁の墓と言われる鳳凰社の祠と塚がある。三ノ郭から本格的な城域に入り、大空堀が穿たれている。車道となった土橋の両側に幅15m・深さ8m程の空堀が穿たれ、三ノ郭側には土塁が築かれ、左袖の横矢が掛かっている。続くニノ郭(2)との間も幅15m程の空堀が穿たれ、三ノ郭同様に左袖の横矢が掛かっている。ここの空堀は、箱堀状で腰曲輪を兼ねていたらしく、堀の南北両端は腰曲輪に繋がっている。特に南側では大きな堡塁が築かれ、南端の防衛陣地となっていた様である。ニノ郭(2)とニノ郭(1)の間にも空堀があったらしく僅かな窪地が見られるが耕地化でほとんど湮滅している。わずかに北側1/4程だけ藪の中に残存している。ニノ郭(1)は牛舎と畑となっているが、北の辺縁部に土塁が残り、腰曲輪が築かれている。ニノ郭(1)と主郭の間には、この城最大の特徴である角馬出が築かれているが、周囲の堀との境界がかなり不明瞭になってきている。この先が主郭で、一部が畑の他は藪化している。主郭の東辺は土塁と櫓台が築かれ、馬出しに対して左袖の横矢が掛かっている。主郭の北側半周には腰曲輪が廻らされて台地下方からの防御を固め、主郭東側は幅広の空堀が穿たれ、南側は空堀を挟んで出曲輪が築かれている。この他、腰曲輪や主郭に切通し道等があるが、往時からのものか後世の改変か、よくわからない。森山城は、それ程技巧的縄張りとは言い難いが、空堀には全て左袖という横矢掛かりが徹底されており、鉄砲戦を想定した規模の空堀と合わせて、中々に見応えがある。
三ノ郭の大空堀→IMG_8525.JPG
IMG_8562.JPG←ニノ郭(2)の腰曲輪
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.834889,140.636276&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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