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府馬城(千葉県香取市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_7209.JPG←大堀切
 府馬城は、下総の名族千葉氏の庶流国分氏の一族府馬氏の居城である。南北朝時代中期の貞治・応安の頃、本矢作城主国分胤通の曾孫朝胤9代の孫越前五郎時常がこの地を領して府馬氏を称し、府馬城を築いたと言われている。戦国後期の永禄年間(1558~69年)~天正年間(1573~92年)の頃には、府馬左衛門尉時持は安房里見氏と結んで、里見氏の重臣正木大膳と共に東総一帯に進撃し、小見川城森山城鏑木城米野井城等を攻め落とした。しかし間もなく反撃に遭って撤兵し、府馬城への帰城の途中、米野井城付近の激戦で討死したと言う。

 府馬城は、比高30m程の南北に細長く伸びた丘陵上に築かれている。千葉県の城館調査報告書の縄張図によれば、大きく主郭群・ニノ郭群・三ノ郭群に分かれている。三ノ郭は「要害」の地名が残り、民家裏の高台のため断りなく進入はできない。三ノ郭群の北辺部は物見台らしい高台があるのが遠目にわかる。ニノ郭群との間は切り通しの道が通っているが、明らかに掘切の跡である。垂直絶壁切岸の大堀切で、そのまま切岸を登ることは不可能である。ニノ郭群は、頂部の曲輪の南と西に各々数段の腰曲輪を築いており、西に向かって虎口とその防衛用の櫓台も築かれている。主郭群は、城域の北の端にあり、耕作放棄地となった広い平場が主殿のあった主郭で、その西に築かれた高台が物見郭であった様である。物見郭は南に向かって数段の平場に分かれ、土橋状の構造も見られる。府馬城は、多数の曲輪群で構成された中々広い城であった様だが、縄張り的には技巧性に欠け、あまり面白みがないのが残念である。
主郭西側の物見郭群→IMG_7267.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.805711,140.603896&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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