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米本城(千葉県八千代市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_5754.JPG←ニノ郭の大空堀
 米本城は、村上民部大輔綱清が城主であったと言われている。綱清に関する伝承は、地元には多く残っているようだが真偽不明で、その死についても、1479年の太田道灌による臼井城攻撃の際に米本城も攻め落とされて城兵700と共に七百余所神社に逃れて自刃したとも、或いは1558年に自殺したとも言われている。いずれにしても、東方約6kmの位置に臼井城があったことから、臼井城の支城として機能していたものと推測されている。

 米本城は、新川東岸の比高20mの台地先端に築かれている。残念ながら南端の主郭・ニノ郭の大半は、高度成長期に土取によって消滅してしまっているが、それ以外の遺構はよく残っていて、城内も概ねよく整備されている。『日本城郭大系』の縄張図によれば、先端に三角形の主郭を置き、その北に空堀を挟んで長方形のニノ郭、更に北に三ノ郭・四ノ郭・外郭の曲輪群を配していた。外郭は民家の敷地となっているが、三ノ郭・四ノ郭は公園として整備されている。三ノ郭・四ノ郭は辺縁部に土塁や櫓台が残り、三ノ郭の北側には浅い空堀と土橋が残っている。三ノ郭からニノ郭に向かっては土橋が綺麗に残っており、その側方に幅20m近い大空堀が残り、ニノ郭の塁壁がそびえている。三ノ郭側にも空堀があったが、こちらは土取りで湮滅している。ニノ郭の北東部の土塁の他、二ノ郭から主郭にかけては東辺部のみ残存するだけだが、かつての曲輪面も残るため、それぞれの土塁の規模がわかる。また、主郭空堀も一部だが残存しているので、往時の規模がほぼ想像できる。米本城は、舌状台地先端部の城の典型的な縄張りであるが、横矢掛かりはほとんど無く、比較的素朴な形態の縄張りであった様である。しかし一方で、ニノ郭の大空堀は明らかに鉄砲戦時代を迎えて規模を拡大されたものと考えられ、戦国末期まで存続していたものと見られる。空堀の規模が大きな城で、全て残っていたらさぞかし壮観だったろうにと惜しまれる。
一部残存する主郭空堀→IMG_5843.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=35.745302,140.115016&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0
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