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資福寺館(山形県高畠町) [古城めぐり(山形)]

IMG_3546.JPG←伊達氏の墓地脇の堀跡
 資福寺館は、伊達氏が尊崇した資福寺一帯の城館的遺構の名称である。資福寺は、元々鎌倉時代の1278年に長井氏3代時秀が創建したと伝えられ、出羽における禅門の中心となり、名僧を輩出した。南北朝末期に伊達氏が長井氏を攻め滅ぼして置賜地方を併呑すると、長井氏同様に資福寺を帰依寺・学問寺として手厚く保護し、後に伊達五山の一つに数えられた。1572年に伊達輝宗は、嫡子梵天丸(後の貞山公政宗)の学問の師として名僧虎哉宗乙を招聘し、後の独眼竜雄飛の礎を築いたが、この虎哉和尚が住職を務めたのが資福寺であった。1591年に伊達氏が岩出山に移封となると、資福寺も移転された。

 資福寺館は、こうした資福寺の周囲に築かれていた二重の土塁・堀を指す。最上川と鬼面川の合流点に近く、対岸の洲島城と相対する位置にあり、有事の際に渡河点を押さえる出城としての機能を持っていたものであろうか?現在は寺も無くなって久しく、宅地化・耕地化が進んでいるが、それでも堀や土塁の跡が断片的にだが明確に残り、思いの外に遺構が良く残っている。元々私はこの資福寺跡には城館の存在は知らず、寺跡に残る伊達氏9代政宗(儀山公)夫婦・伊達輝宗・伊達氏重臣遠藤基信の墓にお参りに行ったところ、現地解説板に城館の記載があり、遺構を確認して回った。
 尚、資福寺館の北東には伊達氏の夏館と言われる夏刈館があり、虎哉和尚に師事した幼い政宗が、一族の伊達成実や後に名参謀となった片倉小十郎景綱と共に、この地で成長したのかもしれない。
北東隅部の土塁と堀跡→IMG_3567.JPG
IMG_3572.JPG←内堀跡の水路
 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=38.010509&lon=140.136123&z=16&did=std&crs=1
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