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三ツ木原古戦場(埼玉県狭山市) [その他の史跡巡り]

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 三ツ木原古戦場は、新興勢力である小田原の北条氏綱と旧勢力である扇谷上杉朝定が戦った古戦場である。父伊勢宗瑞(北条早雲)の創業を受け継いで着々と関東に勢力を広げた2代氏綱は、1524年に要衝江戸城を攻略し、その後武蔵への勢力拡大に向けて扇谷上杉朝興と激しい攻防が続けられた。一旦は、岩槻城蕨城毛呂城などを攻略して河越城に向けて北上を続けた北条勢であったが、扇谷上杉方の激しい逆襲に遭い、これらの諸城を奪還された。しかし天文年間(1532~55年)に入ると、安房里見氏・上総真里谷武田氏の内訌と上杉朝興の死を契機として両勢力の均衡が崩れ、1537年氏綱は、朝興の跡を継いだ上杉朝定が新たに取り立てた深大寺城(神太寺古要害)を攻略し、そのまま河越城へ向けて進撃した。一方、河越城の朝定は、北条勢迎撃のため叔父の上杉朝成を大将とする軍勢を差し向け、三ツ木原で両軍は激突した。氏綱はこの合戦に打ち勝ち、上杉方の大将朝成も生け捕りとなった。この敗戦に、朝定は河越城の維持を諦めて重臣難波田氏の拠る松山城に移り、氏綱はそのまま河越城を攻略した。享徳の乱以来、扇谷上杉氏の本拠であった河越城が落ちたことで、扇谷上杉氏の衰退は決定的なものとなった。

 尚、三ツ木原では、1333年の新田義貞による鎌倉攻めの際にもこれを迎え撃った幕府軍との間で合戦があったとされる。また現地解説板では、1440年の結城合戦に関連して上杉勢と結城勢の間でも、この地で合戦があったとされるが、詳細は不明である。

 三ツ木原古戦場は、新狭山駅に程近い本田技研の隣の三ツ木公園に石碑が建てられている。周辺は市街化が進み、かつての古戦場らしい面影は微塵もない。

 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.874893&lon=139.436187&z=16&did=std&crs=1
タグ:古戦場
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