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千葉城(千葉県千葉市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_9921.JPG←主郭に残る土塁
 千葉城は、猪鼻城とも言い、下総の名族千葉氏宗家の居城である。千葉氏は桓武平氏の流れを汲み、平将門の叔父平良文を祖とする。一族は、房総半島に広く蟠踞して勢力を扶植し、当初は大椎城を本拠としていたと言われるが、1126年に千葉常重は新たに千葉城を築いて本拠を移したとされる。その後、千葉常胤の代に至って、源頼朝に従って鎌倉幕府の創業に貢献し、千葉氏は有力御家人に名を連ねた。その後も名族として続いたが、南北朝時代には惣領家と庶子家の対立「千田庄動乱」があり(土橋城の項参照)、室町時代後期にも享徳の大乱の余波で千葉氏内部に内訌が生じ、宗家の千葉胤直・胤宣父子が一族の馬加城主馬加康胤・小弓城主原胤房らに攻め滅ぼされて、千葉宗家が滅亡するなど、一族内の深刻な対立が度々発生した。宗家滅亡後、馬加康胤の系統が千葉氏を称した(後期千葉氏)が、一方で馬加系千葉氏と対立した宗家筋の千葉実胤・自胤兄弟は、扇谷上杉氏の家宰太田道灌を頼って武蔵に落ち延びて自立した(武蔵千葉氏)。こうした度々の内紛により弱体化した千葉氏は、安房里見氏や真里谷武田氏の圧迫を受け、文明年間(1469~86年)の康胤の子輔胤の時に、新たな拠点として本佐倉城を築城して本拠を移した。戦国時代になると、千葉氏は関東に勢力を伸ばしつつあった小田原の北条氏綱と誼を通じ、その姻戚となって命脈を保った。しかし、重臣であった小弓城主原氏や小金城主高城氏などは独立領主化して北条氏直属の他国衆として遇され、千葉宗家の勢力は衰亡の一途を辿った。1585年に千葉邦胤が家臣に殺害されると、北条氏政は7男直重を千葉氏の後継に送り込み、実質的に千葉氏を乗っ取った。1590年に北条氏が滅亡すると、千葉氏も改易されて、平安以来の名族千葉氏は滅亡した。

 千葉城は、比高15m程の台地先端部に築かれている。往時は台地全体を城域とした、広大な城であったとも言われるが、現在は主郭・ニノ郭部分が亥鼻公園となっているほかは、ほとんどが市街化されてしまっているため、どんな城だったのかはわからなくなっている。それでも主郭には周囲を囲む土塁がはっきりと残り、公園化で改変されているが先端の堀切と物見台の小郭の形状がわかる。また台地上に築かれた地勢も健在であり、往時の雰囲気は思いの外残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.604930/140.126252/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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