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馬加城(千葉県千葉市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_9696.JPG←城址のあった段丘
 馬加(まくわり)城は、下総の名族千葉氏の有力支族馬加氏の居城である。千葉満胤の庶長子康胤は、当初常陸大掾氏の養子になったが、間もなく離縁して下総に戻り、馬加村に館(馬加城)を構えて馬加氏を称した。そして1455年、鎌倉公方足利成氏は、亡き父持氏の仇の子である関東管領上杉憲忠を謀殺し、関東を二分する大乱、享徳の乱が勃発した。この余波で下総では名族千葉氏に内訌が生じ、成氏方の康胤は、同族の小弓城主原胤房と共に、上杉方に付いた宗家千葉胤直・胤宣父子を攻め滅ぼし、宗家を乗っ取った。この事態を受けて京都の将軍足利義政は、千葉氏の一族で美濃の豪族東常縁を下総に下向させ、千葉氏内訌の鎮定に当たらせた。常縁は、国分・大須賀・相馬らの千葉一族を始め、下総国中の兵を動員して康胤を討伐し、馬加城・千葉城(猪鼻城)を相次いで攻略し、康胤は上総八幡に追い込まれ敗死した。その後は康胤の庶子輔胤が千葉宗家の名跡を継いだ(後期千葉氏)が、内訌により弱体化した千葉氏は里見氏らの圧迫を受け、文明年間(1469~86年)に新たな拠点として本佐倉城を築城して本拠を移したと言う。

 馬加城は、宗家を滅ぼすほどの勢威を持った庶子家の城であったが、現在は遺構は全く残っておらず、どのような規模の城だったのかも明確ではない。馬加城の位置は、武石城があったのと同じ台地の西端に当たり、現在は大型マンションが建っている。周辺も民家や畑に変貌しており、段丘という地勢以外に城らしさを残すものはない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.668991&lon=140.057432&z=16&did=std&crs=1
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