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栗城(京都府綾部市) [古城めぐり(京都)]

IMG_8278.JPG←主郭の切岸
(2014年4月訪城)
 栗城は、一尾城とも呼ばれ、国人領主大槻氏の一族の城である。大槻氏は、高津城に拠った高津大槻氏、高城城に拠った高城大槻氏、栗城に拠った栗城大槻氏に大きく大別されるらしい。栗城は、日本城郭大系では1558年頃に大槻佐渡守時春によって築城されたとされている。1560年には、若狭高浜城主逸見駿河守宗近と高田豊後守らに攻められたが、客将村上蜂之助義近が奮戦して宗近を討死させた。また天正年間(1573~92年)には城主大槻民部が上京した留守中を赤井氏に攻められ、城を守った民部の妻が討たれたと言う。その他の歴史は不明であるが、明智光秀の丹波平定後、栗城も廃城になったと思われる。

 栗城は、高津城から由良川を挟んだ対岸の標高134.1mの城山に築かれた城である。東西に走る尾根上に曲輪群を配し、南斜面に出丸や城道兼用の大規模な竪堀を構築し、更に南斜面の中腹に広大な居館群を構えている。山麓の高台寺裏から登道が付いているが、明らかにかつての大手道の様で、側方に土塁を伴った道となっている。この道を登って行くと、竪堀や横堀と十字に交叉した大手枡形に至る。その東側には居館群の平場が広がり、土塁や虎口が明瞭に残り、途中には平場群を分断する竪堀も穿たれている。一方、前述の枡形と接続している城道兼用の竪堀を登ると、南出丸の腰曲輪に至り、この腰曲輪を西に辿って行くと三ノ郭堀切から落ちる竪堀に繋がっている。この竪堀も城道兼用である。三ノ郭堀切には土橋が掛かり、この西尾根には緩斜面が連続した後、広幅の浅い堀切の先に土塁が築かれた西出丸があって城域が終わる。三ノ郭から東へは、鞍部の曲輪を挟んでニノ郭、主郭と繋がっている。ここは切り立った大きな切岸だけで区画されている。主郭はほぼ全周を広い腰曲輪が取り巻いており、南側にはこの腰曲輪に繋がる城道も確認できる。主郭背後は堀切で分断している。縄張図ではこの堀切に沿う形で畝状竪堀があるとされるが、藪がひどい上埋もれていてよくわからなかった。栗城は現在は全く整備の手が入っておらず、藪がひどく繁茂し、遺構の確認は大変である。整備すれば、なかなか素晴らしい遺構なのだが。
大手の枡形→IMG_8319.JPG
IMG_8318.JPG←枡形に繋がる城道兼用竪堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.317989&lon=135.228284&z=16&did=std&crs=1
タグ:中世山城
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