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島城(京都府南丹市) [古城めぐり(京都)]

IMG_7530.JPG←ニノ郭~主郭間の堀切
 島城は、野々村荘を領していた国人領主川勝氏の居城と言われている。川勝氏は厩戸皇子(聖徳太子)の重臣秦河勝の後裔と伝えられ、室町時代には丹波の国人衆と同様に丹波守護で幕府管領でもあった細川氏に属していた。応仁の乱後に守護大名の権力が没落すると、川勝氏も自立した経済圏を確保するため、天文年間(1532~55年)か天正年間(1573~92年)の頃に島城を築いたと言われている。川勝兵部大輔継氏は、織田信長に従い、明智光秀による丹波平定にも協力して、信長から賞された。光秀の本能寺の変には従わなかったらしく、光秀滅亡後は豊臣秀吉に従った。その子秀氏は、1600年の関ヶ原合戦で西軍として、細川幽斎の拠る田辺城攻撃軍に加わった。しかし西軍敗北後、徳川家康から赦免を受けて福知山城攻撃に参加し、改易を免れた。その後は、徳川家の旗本として存続した。

 島城は、由良川と棚野川の合流点東側にそびえる、標高403.7m、比高224mの城山に築かれている。大きく4つの曲輪で構成され、山頂に主郭を置き、その西にニノ郭、ニノ郭の西と北にそれぞれ三ノ郭・四ノ郭を置いている。麓から整備されている山道を登ると、最初に四ノ郭に達する。四ノ郭は外周に土塁を巡らした曲輪で、背後を小堀切で区画している。そこから小郭を越えて登るとニノ郭に達する。二ノ郭は広く、主郭との間に堀切を穿って分断している。ニノ郭から西に降ったところに方形の土塁囲郭の三ノ郭があり、外周斜面に4本の竪堀が放射状に穿たれている。ニノ郭から主郭へは、側方に土塁を伴った尾根道で、堀切を越えると3段程の腰曲輪を経由して主郭に至る。この付近には石積みらしい跡や攻撃用の礫石(つぶていし)が見られる。主郭背後も腰曲輪とその先に小堀切や竪堀が数本穿たれて、城域が終わっている。以上が縄張りの概要であるが、この城で大きな謎なのはあちこちに掘られている井戸状の穴で、『日本城郭大系』によれば遺構であるらしい。出羽高楯城などにタコツボ遺構という塹壕が見られるが、同種のものであろうか?あまり効果的な配置とも思われず、意図は謎のままである。
三ノ郭外周の竪堀→IMG_7488.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.269479&lon=135.556138&z=16&did=std&crs=1
タグ:中世山城
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