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坂田城(千葉県横芝光町) [古城めぐり(千葉)]

IMG_3864.JPG←主郭虎口横の櫓台
 坂田城は、飯櫃城主山室氏に属して勢力を拡大した井田氏の戦国末期の居城である。井田氏の事績は大台城の項に記載する。坂田城は、元々は14世紀中頃に千葉氏によって築かれたと言われ、その後、千葉氏の重臣三谷大膳亮胤興の居城となった。1555年、井田因幡守友胤は三谷氏の内訌に介入して胤興を攻め滅ぼし、坂田郷を併呑して居城を大台城から坂田城に移したとされる。しかし移城の時期や、その時の坂田城が現在の坂田城であるかどうかは不明な点が多い。井田氏は、千葉氏に仕えると共に小田原北条氏に属し、天正年間(1573~92年)には坂田城を拠点に東上総の地方領主として勢力を有し、牛久城岩槻城に在番した。1590年の小田原の役の際、坂田城も追討軍の前に落城したと言う。

 坂田城は、栗山川西方の比高25m程の舌状台地先端に築かれた城である。台地先端に主郭とニノ郭を置き、そこから台地基部に向かって三ノ郭・四ノ郭を築いている。いずれの曲輪も空堀と土塁で分断されているが、特に外郭に当たる四ノ郭のものは土塁・堀切とも規模が大きい。殊に堀切は二重に穿たれ、二重堀切の中間土塁は帯曲輪となって、この帯曲輪を障壁とする様に大手と搦手の虎口2ヶ所が築かれ、厳重な防備を固めている。中でも大手虎口は、土塁(帯曲輪)を迂回してから屈曲して堀切内に進入し、四ノ郭虎口に至る、巧みな動線構造となっている。三ノ郭虎口は、中央の土橋に対して両翼に張り出した櫓台から横矢を掛けており、空堀も櫓台に沿って屈曲している。但し、この部分はこの城の白眉であるにも関わらず、藪が多く遺構の確認が大変なのが残念である。主郭と二ノ郭も虎口の土橋に対して、櫓台を張り出させており、しっかりと横矢を掛けた構造となっている。この城には横矢掛かりが多数あり、北条勢力圏の数多い名城の中でも、大きな櫓台からの横矢掛かりをこれほど徹底して意識して築かれた例は少ない。特に主郭では、横矢張出しの櫓台・物見台が合計4ヶ所にも及ぶ。この他、曲輪外周の斜面に腰曲輪群が多数築かれ、東斜面では竪堀が、また西斜面では堀状の城道も残っている。坂田城は、舌状台地に築かれた城の究極形の一つで、外周斜面の腰曲輪群といい縄張りといい、相模大庭城に匹敵する技巧的な遺構である。
土塁を迂回する大手虎口→IMG_3753.JPG

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=35.664377&lon=140.472872&z=16&did=std&crs=1
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