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師戸城(千葉県印西市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_09936.JPG←三ノ郭空堀の大規模な横矢掛かり
 師戸城は、千葉氏の一族であった臼井氏と原氏の居城臼井城の支城である。築城時期ははっきりしないが、鎌倉末期には臼井氏四天王の一人師戸四郎が居城していたとされる。印旛沼対岸の臼井城とは「渡」で連絡され、臼井城の防衛に大きな役割を果たしたものと考えられる。戦国時代には、臼井氏に代わって臼井城主となった原氏によって改修され、現在の姿となった。1566年、関東に出陣した上杉謙信は臼井城を取り囲んで攻撃したが、師戸城は上杉勢の攻撃を防ぐ大きな役割を果たしたと思われる。1590年の小田原の役で落城し廃城となった。

 師戸城は、印旛沼北岸に張り出した比高20m程の台地先端部に築かれており、現在は「印旛沼公園」になっている。大きく4つの曲輪で構成されており、基本的には梯郭式に近い連郭式の縄張りである。先端に位置する主郭・ニノ郭は、元々は一つの曲輪だったと思われ、浅い空堀と小規模な土塁で分割しただけである。但し、空堀の両端には櫓台が張り出して主郭虎口への横矢を掛けている。主郭・ニノ郭と三ノ郭の間は、横矢の掛かった屈曲した中規模の空堀で分断され、土橋で連結されている。更に三ノ郭の外周は規模の大きな土塁が廻らされ、その外周は深さ8m程の大規模な空堀が屈曲しながら穿たれており、非常に見応えがある。三ノ郭東側は空堀外に帯曲輪があり、その外に四ノ郭があるが、ここは地形の改変を受けてしまっている。師戸城は、横矢掛かりが徹底した縄張りで、殊に三ノ郭空堀の横矢掛かりは北条氏のこの手の崖端城に多く見られる形状で、極めて北条的な城で見応えがある。

 尚、公園のパンフレットでは、高度成長期に不動産業者から住宅建設が申請されたが、遺構調査の結果、A級城跡とされて開発許可が降りなかったらしい。当時にしては珍しい行政当局の名判断によって、間一髪で後世に残された貴重な遺構である。
主郭外周の屈曲する空堀→IMG_09954.JPG
IMG_09961.JPG←主郭とニノ郭を分割する堀と土橋
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.751779/140.183469/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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