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塩田城(山形県白鷹町) [古城めぐり(山形)]

IMG_2675.JPG←四ノ郭切岸と腰曲輪
 塩田城は、歴史不詳の城である。伝承によれば、1600年に菊池兵庫という武士が城主であったが落城したとされる。勢力圏としては米沢を本拠とした伊達氏、若しくは上杉氏の支配下であり、伊達氏か上杉氏が最上氏に対して築いた重要な城であったと推測される。

 塩田城は、国道348号線沿いにそびえる、標高406m、比高150mの山上にある城である。かなり広い城域を有する城で、山頂周辺の主城部から南尾根の出丸部まで、南北300m以上の長さを持っている。各曲輪も大きく、主郭・ニノ郭・三ノ郭の他、周辺を取り巻く腰曲輪や先端部の段曲輪などいずれも広い面積を持ち、かなりの兵数を駐留できる規模である。基本的には直線的な連郭式の縄張りで、北から順に四ノ郭・主郭・ニノ郭・三ノ郭が連なり、更に南の尾根にやや離れて南出曲輪が構築されている。主郭~三ノ郭は段差のみで区画されているが、主郭背後の四ノ郭との間だけ、小規模な堀切が穿たれて、高低差を増している。また四ノ郭周辺は防御構造が最も複雑で、腰曲輪だけでなく西側には横堀が廻らされ、そこから竪堀を落としたり、広い腰曲輪に櫓台を設けたりと防備に余念がない。また主要な曲輪から派生する尾根にはかなり広範囲に段曲輪群が築かれ、要所を堀切で分断している。これらの堀切はいずれも高低差が比較的大きく、最大のものでは高さ8m程の切岸がそびえている。登城した南出曲輪の尾根には、城の主要部からかなり離れた中腹部にも段曲輪群が築かれていた。塩田城は縄張り的には旧態依然としたもので、鷲城の様な大きな枡形虎口もなく、戦国期中頃までの遺構と思われるが、城の規模から考えてそれなりのまとまった兵力を置いた拠点城郭の一つだったのではないだろうか?縄張り的には伊達氏系城郭の特徴が見られることから、伊達氏が最上氏に備えて築いたものではないかと想像され、城の大きさを見ると伊達氏と最上氏の勢力の違いがよく分かる。
 尚、『山形県中世城館遺跡調査報告書』に載っている縄張図は、かなり不正確であまり使えなかった。
四ノ郭外周の横堀→IMG_2679.JPG
IMG_2683.JPG←腰曲輪の櫓台
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse4/?lat=38.197286&lon=140.128705&z=16&did=std&crs=1
タグ:中世山城
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