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社山城(静岡県磐田市) [古城めぐり(静岡)]

DSC00943.JPG←主郭西側の横堀と帯曲輪
 社山城は、武田氏によって改修された山城である。創築時期は不明であるが、『宗長日記』等によって、1501~03年頃の遠江を巡る斯波氏と今川氏との抗争の際に、両軍争奪の場となったことが知られている。即ち1500年3月、旧遠江守護の斯波義寛が失地回復の為、弟義雄を社山城へ送り込んだが、翌年、義雄は今川氏親によって二俣城に追われた。以後、社山城は今川氏の属城となった。又、1532年には、社山城主匂坂筑前守六郎五郎長能は、菅沼重左衛門定平と城主を交代し、本領匂坂に匂坂城を築いて移ったと伝えられている。1572年10月には、西上作戦を開始した武田信玄が、青崩峠を越えて遠江へ侵攻し、二俣城を攻略する為、社山城の北1.8kmの合代島に本陣を構えた。この時、社山城も武田氏の支配下に置かれたと見られる。その後の歴史は明確ではないが、現在残る遺構からはこの武田氏支配時代に社山城は大規模な改修を受けたと推測されている。その後、武田氏の勢力が遠江から駆逐されると、廃城になったと考えられる。

 社山城は、標高130m、比高100mの丘陵上に築かれた城である。大きく主郭・ニノ郭・三ノ郭から成る連郭式の縄張りで、周囲には腰曲輪を廻らし、更に派生する尾根にも曲輪群を築いた、比較的規模の大きな城である。特に出色なのは主郭西側の遺構群で、まず長い横堀と帯曲輪が外周下方に構築され、その更に下方の腰曲輪群の先には、深さ10mの大堀切や二重堀切が穿たれて厳重な防御線を構築している。主郭北側にも二重横堀が穿たれ、主郭とニノ郭の間も大きな堀切で分断している。ニノ郭と三ノ郭は土橋の掛かった片堀切で分断され、三ノ郭の東端は数段の腰曲輪と数本の堀切で、尾根筋を分断防御している。主郭の北尾根の細長い曲輪にも中間に土橋の掛かった小堀切があり、北端の櫓台には腰曲輪と横堀が築かれている。この他、動線遮断の竪堀が効果的に用いられており、多用された横堀等と共に、丸子城高天神城八幡平の城と共通性を持ち、明らかに武田氏の改修による縄張りで、見応えのある遺構である。北側の車道から登城道が整備されているので苦労なく登ることができ、城内も解説板や標柱などかなり整備されていて、遺構の確認がしやすい。ちなみに、こんなに平地部に近い山なのに、カモシカのつがいに出くわしたのにはびっくりした。
主郭~ニノ郭間の堀切→DSC00988.JPG
DSC00965.JPG←西側遺構群の大堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.815710/137.853598/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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