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井伊谷城(静岡県浜松市北区) [古城めぐり(静岡)]

DSC06052.JPG←主郭大手門の土塁
 井伊谷城は、浜名湖東北部に勢威を張った井伊氏歴代の居城である。井伊氏は、平安時代に遠江国司であった藤原共資の子共保を祖とし、徳川譜代の近世大名として幕末まで連綿と続いた名族である。南北朝時代に井伊道政は南朝方に属し、この地に後醍醐天皇の皇子宗良親王を迎え、三岳城を始めとする城砦群を築いて北朝の足利方に抵抗したことは史上に名高い。この抗争では、平地に囲まれた井伊谷城は、足利方の大軍を向こうに回して籠城するには要害性に乏しかった為、三岳城が本城となったが、井伊氏の城砦群の一翼を担い、1339~40年に高師泰・仁木義長らに攻められて落城した。井伊氏はその後、足利一門の今川氏に服属し、戦国時代には国人領主の一人として、今川氏の西遠江の押さえの一翼を担った。しかしその地位は決して安泰ではなく、井伊直盛は桶狭間で今川義元と共に討死し、跡を継いだ直親は今川氏真に謀反の疑いを掛けられ、その釈明に駿府に向かう途中、掛川城主朝比奈泰能に謀殺された。その後、当主となったのが女戦国大名として有名な井伊直虎である。直虎の後、跡を継いだのが後に徳川四天王として勇名を馳せた直政である。井伊谷城は、この直政が今川氏の難を避けて三河に逃れるまで、約540年余にわたって井伊氏の居城であった。直政は、1575年に15歳で徳川家康に見出され、以後、獅子奮迅の活躍をして家康の天下取りに大きく貢献した。武田家滅亡後は、武田の遺臣団を預けられて「井伊の赤備え」と呼ばれる精強な軍団を擁し、家康の関東移封後は徳川家臣団では最高の12万石を以って上野箕輪城に封ぜられた。関ヶ原合戦でも活躍し、戦後近江に移封されて後の彦根藩の礎を築いた。江戸時代を通じて井伊家は幕府の重臣として重きを成し、幕末に大老となった井伊直弼は特に有名である。

 井伊谷城は、標高115m、比高85mの城山に築かれた平山城である。城址は公園化されており、登山道も整備されているので楽に登ることができる。井伊氏歴代の居城としてはささやかな遺構で、山頂に主郭の平場が残るほかは、大手虎口・搦手虎口の門跡と主郭周囲を取り巻く腰曲輪がわずかに残る程度である。主郭には大手門付近や北辺部に土塁が残り、また主郭内は2段の平場に分かれていて、高い方に小規模な主殿があったと思われる。この他、南側山腹にも腰曲輪状の平場が見られるが、改変が多く遺構かどうかはっきりしない。いずれにしても山上のものは詰城で、平時は南麓の居館が中心であったらしい。

 尚、歴史の長い井伊氏だけあって、井伊谷にはその墓所である龍潭寺や、宗良親王を祀った井伊谷宮など、見所が多い。特に龍潭寺は、井伊氏の家臣団の墓もあり、井伊家の歴史そのものを感じさせる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.837090/137.670568/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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