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三方原古戦場(静岡県浜松市北区) [その他の史跡巡り]

DSC05841.JPG←古戦場碑
 三方原古戦場は、上洛を目指す武田信玄とそれを迎え撃った徳川家康が戦った古戦場である。1572年、15代将軍足利義昭の要請を受ける形で開始された信玄の西上戦は、信玄率いる本軍が信濃から青崩峠を越えて遠江に入り、犬居城を経由して二俣城を取り囲み、2ヶ月の包囲戦の上、落城させた。この時の武田勢の兵力は2万5千と言われる。一方、織田信長と同盟して武田勢に抗した家康は寡勢であり、信長からの援軍を含めても1万1千の兵力しかなかった。そこで、浜松城に籠城して武田勢を迎え撃とうとした家康であったが、信玄は案に相違して、浜松城を素通りして三方原台地へと向かった。これを見た家康は、居城を素通りされて領国を蹂躙されるは恥辱であると激怒し、家臣の反対を押し切って武田勢を背後から襲う強攻策に転じたとされる。こうして、家康を野戦に引きずり出した信玄は、三方原で徳川勢を迎え撃ち、12月22日に激戦が行われた。しかし、わずか2時間の戦闘で徳川勢は大敗し、家康の身代わりとなって死んだ夏目吉信以下多数の家臣を失い、信長から派遣された援将平手汎秀まで討たれた。家康も武田勢に逐われて命からがら浜松城に逃げ帰り、馬上で脱糞したと伝えられている。この大敗を深く心に刻んだ家康は、「顰像」と呼ばれる有名な絵を描かせ、終生自らへの戒めにしたと言う。一方、徳川勢に圧勝した信玄であったが、野田城を落した後に病に倒れ、上洛の夢は潰えた。

 三方原の戦いは、浜松城の北方約10kmの位置で行われたと言われている。国道257号線沿いの三方原墓園の駐車場脇に古戦場の石碑が建てられている。この他にも、浜松城のほど近くに犀ヶ崖、夏目吉信墓、本多忠実墓などの史跡がある。今では市街化が進み、往時とは景観が一変しているが、関連史跡も多く興味深い。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.793770/137.701725/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:古戦場
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コメント 2

らんまる

昨年秋に三河へ攻め入った際に見たかった場所でしたが、攻城数を稼ぐために諦めた古戦場でした・・(汗)
家康の浜松城下に迫りながら、ケツを向けてUターンして挑発した信玄は格の違いを見せつけました。
それを我慢できなかった家康が若気の至りだったとは思いません。

「馬鹿にするか、信玄タヌキめ!」

そうなるしかなかったというくだらない結果論を云うよりも、数%の可能性に賭けた家康は素晴らしい。
信玄の寿命を縮めたのですから・・(笑)

by らんまる (2013-09-05 20:19) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
古戦場巡りは、城歩きの時は寄るかどうするか、
よく迷いますよね~。

三方原で完膚なきまでに叩きのめされた家康は、
よほど悔しかったんだと思います。
信玄死後の武田領への侵攻における尋常ならざる執念を見ると、
(特に高天神城攻め)
信玄を尊敬していたなんて、そんな簡単な感情ではなかったと
よくわかります。
by アテンザ23Z (2013-09-06 12:28) 

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