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飯田楯(山形県村山市) [古城めぐり(山形)]

DSC08999.JPG←主郭腰曲輪の切岸と堀切
 飯田楯は、山形城主最上義光の家臣飯田播磨守が、天正年間(1573~92年)に築城したと伝えられている。飯田播磨守は、1600年の慶長出羽合戦で戦死したが、飯田楯は飯田氏の居城として存続したらしく、飯田大和が楯主の時の1622年、最上氏が改易され、楯も破却されたと言う。

 飯田楯は、山地の先端部に築かれた比高50m程の山城である。北端の物見曲輪に羽黒山神社が鎮座しており、そこまでは登り口が整備されている。神社のある物見曲輪と主城部を繋ぐ基部には、中間部に2条の畝状阻塞を設けた三重堀切が穿たれている。大規模なものではないが、見応えがある。その先は、三ノ郭・ニノ郭と曲輪群が続くが、削平が明瞭で遺構がよく分かる。三ノ郭からニノ郭に登る虎口と、ニノ郭から曲輪群を経て主郭に至る大手虎口の動線も明瞭に残っている。基本的には坂虎口であるが、城道の脇に竪土塁を設けるなど、やや技巧的な構築が確認できる。主郭は扇形状の曲輪で、周囲に腰曲輪を伴い、東側の北端と南端に各々腰曲輪への搦手虎口が見られる。主郭背後には小規模な土壇があり、規模からすれば物見台というより祭祀か何かに利用されたものかもしれない。主郭背後の腰曲輪は、下方の曲輪に対して8m程の高さの大きく急峻な切岸で防御されている。更に背後の尾根に伸びる曲輪に対して、一段低い曲輪を挟んで堀切状にしている。その先の尾根筋は小堀切で区画し、城域が終わっている。それほど技巧的という感じの縄張りではないが、遺構が見やすくて中々面白い。
三重堀切→DSC08933.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?ll=38.529955,140.398995&z=16&base=std&vs=c1j0l0u0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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