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相模台城〔附相模台古戦場〕(千葉県松戸市) [古城めぐり(千葉)]

DSC06165.JPG←小学校の土塁状地形
 相模台城は、第一次国府台合戦の主戦場となった城である。その創築は、伝承によれば鎌倉時代前期に房総三国の守護北条長時によるとされ、鎌倉末期には北条相模守高時がこの城に居住したことから相模台と呼ばれるようになったというが、少なくとも高時居城説については事実ではないだろう。高時は、執権北条氏の嫡流「得宗」であり、鎌倉を遠く離れてこの地にいることは考えられないからである。戦国時代に入ると、相模台城は小金城主高城氏の支配下となった。1538年には古河公方足利氏の内訌を契機として、第一次国府台合戦が生起した。この頃、古河公方足利晴氏に対して、真理谷武田氏の支援で自立した小弓公方足利義明が対立しており、義明は軍を率いて北上し、相模台城に陣を敷いた。一方晴氏は、当時既に関東最大の勢力にのし上がっていた小田原の北条氏綱に義明討伐を要請したとされる。上意を受けた氏綱は、進軍して松戸台に陣を敷き、相模台城を中心に両軍で激戦が展開された。北条勢は合戦に勝利し、小弓公方勢は当主義明以下、嫡子義純、弟基頼らが討死し、小弓公方家は滅亡した。この大功によって、小田原北条氏は晴氏から御内書を以って関東管領職に補任され、また氏綱の娘が晴氏の正室となって、北条氏は足利氏の「御一家」に列することとなった。

 相模台城は、JR松戸駅東側の比高20m程の台地上に築かれていたとされている。市街化が激しく、遺構はほとんど湮滅しているが、相模台小の東側には土塁状の土盛りが見られ、また検察庁南の相模台公園には、その周辺にやはり土塁状の土盛りがある。これらが遺構かどうかは俄には判断しがたいが、眺望のきく台地であったことは今でもわかる。また検察庁北側の道路は堀切跡の様にも見えるがどうであろうか?

 尚、聖徳大学の敷地内には、「相模台戦跡碑」の石碑と経世塚という戦死者の墳墓が残っている。正門入ってすぐ左にあり、守衛所でお願いすれば快く見学させていただける。
古戦場碑と経世塚→DSC06129.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【相模台城推定地】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.780987/139.901994/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

    【古戦場碑・経世塚】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.783598/139.904140/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


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