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須田城(長野県須坂市) [古城めぐり(長野)]

DSC00536.JPG←主郭・二ノ郭間の堀切
 須田城は、信濃源氏井上氏の庶流須田氏が築いた山城である。須田氏の本城は大岩城で、その西側の丘陵地に築かれた須田城は、その出城であったと考えられる。須田氏は、鎌倉時代から戦国時代まで、日滝から小山にかけての一帯を支配した豪族で、本家の井上氏とも度々争った。戦国時代に武田信玄が川中島に進出すると、帰趨を巡って須田氏は二家に分裂し、武田氏に属して高井郡に留まった須田信頼の系統と、上杉氏に付いて越後に去った須田満親の系統に分かれた。1582年、武田氏が滅亡し、上杉景勝が北信濃四郡を支配すると、信濃に留まった須田信頼の子信正は、井上氏の旧領を安堵されたが、後に景勝と対立して滅ぼされた。一方、越後に逃れた須田満親は海津城将として信濃に戻ったが、豊臣秀吉の命で上杉氏が会津に移封となると、須田氏は再びこの地を去り、須田城も廃城になったと考えられる。
 須田城は、現在臥竜公園の一部として公園化されている。従って、遺構も公園化によって一部改変されているが、残存状況は良い方である。臥龍山の西に位置する標高471mの城山に築かれており、山頂の主郭・ニノ郭の周囲に腰曲輪などが残っている。主郭とニノ郭は堀切で分断されており、この堀切横にはニノ郭から繋がる土塁がそのまま主郭東側の帯曲輪につながっており、枡形状の空間を形成している。またこの他、北西尾根や北東尾根に出丸があったと考えられるが、須坂藩主堀氏の霊廟が建てられたり、公園化されたりで、遺構かどうか断定はできない。東端には小橋が掛かっているが、これもおそらく堀切の跡なのであろう。この他、主郭腰曲輪に石積みらしい跡も見られる。現在の姿からはわからないが、日本城郭大系によれば、北側に居館や町家を伴った近世的な構造の山城だった様である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.641573/138.313032/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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